東日本大震災からはや4年と4ヶ月。発災後直ちに訪れた宮城県気仙沼市。大型漁船が流され陸に鎮座し、鉄道の線路がアメの様に無残に曲がり、自然の脅威を目の当たりにし立ち尽くした鹿折地区。みぞれの中、亡くなられた方の捜索が続いていた現地は今や区画整理事業や高さ5.5mの盛り土が進み、様相が一変していた。復興の確かな槌音が響き渡る。しかし住宅や店舗、工場が建つまでにはまだ時間が掛かりそうだ。
一方、対岸の造船所では長崎県雲仙市の大型サンマ船、第五太喜丸の進水式が行われていた。被災地に元気を送る井上船主と共に記念撮影。近隣の人も造船所の従業員も菅原市長も漁協の佐藤組合長も笑顔、笑顔。新船は復興への大きなプレゼントだ。
翌日は南三陸町まで足をのばした。防災対策庁舎で地元選出の小野寺代議士と共に線香を上げる。町民の皆様の命を守る為、防災無線で最後まで放送を続けた遠藤未希さんもここで亡くなられた。
仮設の町役場に佐藤町長を訪ねる。町長も津波に流され、初めてお会いした時は確か着のみ着のままで着替えもなく、私が着ていたジャンパーを差し上げたことを今でも覚えていてくれた。
大きな犠牲を出した南三陸町だが、新しい町づくりが町長のリーダーシップの下、着々と進んでいる。民間も元気で、仮設の南三陸さんさん商店街は多くの観光客や地元民を呼び込み賑わっていた。