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ラーシュ・ヴァリエ スウェーデン大使と対談

ラーシュ・ヴァリエ スウェーデン大使と雑誌の対談をしました。スウェーデンは環境保護への取り組みがとても進んでいる国です。私が特に注目しているのはバイオマス発電です。スウェーデンでは、森林を伐採した後の枝や、端材などを使って、熱と電気を作り出し、これで暖房をほぼ100%まかなっているそうです。ところで私が若いころ、六本木にスウェーデンセンターという建物がありました。北欧家具の展示などとともに、スウェーデン料理のレストランがあり、スモーガスボード(何だかわかりますか?)を食べに通いました。今回大使からは美味しいスウェーデン料理のお店を教えてもらったので、実際に行ってからレポートします。

ラーシュ・ヴァリエ スウェーデン大使と対談

ラーシュ・ヴァリエ スウェーデン大使と対談

エルマイラ大学の皆さん

ニューヨーク・エルマイラ大学の皆さんが訪ねてきてくれました。エルマイラ大学は私が大学生のころ一年間留学し、人間生態学を学んだ母校です。創立時から日本と深い結びつきがあり国際的な教育を重視しています。後輩達がそれぞれの夢に向かって努力している笑顔は、とても輝いていました。日本では、最近、海外へ留学する若者が少なくなっていますが、若いうちに色々な国と交流する体験はとても大事です。海外で勉強するということが人生の選択肢の一つになればいいですね。

エルマイラ大学の皆さん

エルマイラ大学の皆さん

春の叙勲

平成25年春の叙勲受章者の16名の方々おひとりおひとりに、心をこめて勲章をお渡ししました。晴れの日に、これまでのご業績に一区切りをつけ、新たな気持ちで再出発する。叙勲とは、そんな人生の「句読点」ではないかと思います。ただし、あくまでも「、」であって、「。」ではありません。これを機にますますご活躍ください!

受章者の皆様と

受章者の皆様と

勲章をお渡ししている模様

勲章をお渡ししている模様

ロペス大使

ロペス大使と

ロペス大使と

フィリピン共和国のマニュエル・ロペス駐日大使の公邸にお招きをうけました。
「外交は外務省」と思っている方も多いでしょうが、現在のように国際関係が複雑化している中、国と国をつなぐパイプが一本だけでは心配です。政党と政党、議員と議員など複数のパイプを持てば、たとえ国同士が気まずくなっても、別のチャンネルを通じて意思疎通できます。
幸い日本とフィリピンは、現在極めて友好的な関係にありますが、それでも議員外交は、我々政治家の重要な仕事のひとつです。

国立近現代建築資料館

国立近現代建築資料館のオープニング・セレモニーに参加しました。その後、名誉館長の安藤忠雄さんとともに、開館記念特別展示「建築資料に見る東京オリンピック」を拝見しました。1964年の東京オリンピックのために建設された国立代々木競技場は、暖房や音響面から限りなく小さく、同時に、軽快で開放的な空間を生み出す、という相反する要求の下、設計されました。世界的にも斬新な吊り屋根構造は、こうした要求を満たしつつ、見事に日本の伝統美さえ表現しています。また、今回のコンクールで最優秀賞に選出された新国立競技場のデザイン案は、構造と内部の空間がダイナミックに調和した、斬新なデザインです。この新旧二つの競技場を拝見し、時代を超えて生きる、建築という文化を感じました。この新国立競技場で、世界中のアスリートが躍動する姿を見たい。子供たちに見せたい。そのために頑張ります!

国立近現代建築資料館のオープニング・セレモニー

国立近現代建築資料館のオープニング・セレモニー

国立近現代建築資料館の模様

国立近現代建築資料館の模様

同級生交歓

同級生交歓 <文藝春秋 2005新年特別号>

衆議院議員 石原伸晃
慶應義塾大学先端生命科学研究所所長・環境情報学部教授 冨田勝
目本画家・京都造形芸術大学副学長 千住博
映画監督 望月六郎

私達は慶応普通部で出会い、六年間、共に学んだ。久々に顔を揃え、皆35年前と同じ、と笑いあった。石原は国会へ。政策通として知られ行革大臣、国交大臣を歴任。みるみる間に私達の追いつけない位立派になっていったが、ユーモア濫れる人柄は昔と全く変わっていない。

望月は賞を総ナメの映画界期待の監督。心のひだを若さにおりまぜて描かせれば右に出る者はいない。かつてのガキ大将は、画面の中では永遠のガキ大将のままである。

冨田は23歳で渡米し人工知能で理学降士。その後、電気工学で工博、分子生物学で医博と三つの博士号を持つ、留学時代は頭脳流出と騒がれたが、今はバイオ分野で慶大教授。普通部時代の初論文はなんと「ポーカー必勝法」だった。

一方、私は東京芸大絵画科へ進み、国際舞台の発表に追われながら京都造形芸大副学長のも担う。周りが目から鼻に抜けるような秀才ばかりの普通部時代はぐずぐずしてばかりの存在だった。(千住)

東京・紀尾井町 文藝春秋にて(撮影本社写真部)