妻の目

●妻より(平成25年3月)new


朝のお散歩コースの大宮八幡様

春欄間。桜もちらほら咲き出して、とても素敵な季節になったのに、まぁ、いろいろなモノが空中を浮遊していて、残念な事この上ない。趣味のウォーキングも、花粉やらPM2.5やらを吸い込むのもなぁ、と億劫になりがち。ならばせめて車はやめて、移動は電車にしましょう、と今日もでかけたのは良かったが、なんちゃらの点検がどうしたこうした、でホームにあふれんばかりのひとひとひと。それがぎゅうぎゅうとこれでもか、これでもか、と詰まってくるので、圧殺されそうになりました。そして、途中で大問題発生。マスクの中で鼻がかゆい! かきたくても、手は当然上げられない。でも、なんとかしたいっ、ともぞもぞしていたら、隣の若い女性にすごい勢いでにらまれた。いえいえ、私にはその手の趣味はございませーん! あ、でも考えてみたら、若い男性に痴女と間違えられてにらまれたら、救われないから、まだ良かったか。

効果的な拷問は痛みより、かゆみを与えること、と聞いた事がありますが、本当に辛かったー。それにしても、人間って、良く詰められるモノだな、と思います。これ、顔が肩よより小さいから何とか耐えられるのですよね。だって、想像してみて下さい。もし、顔の幅が肩の幅と同じで、顔同士がぺたぺたくっついちゃったりしたら、メチャメチャイヤですよね。そうしたら、電車文化もきっと発達しなかったかも。

と、考えているうちに、ようやく圧縮機から解放され、マスクを取って、鼻も思う存分かいて、深呼吸。気を取り直して、地下鉄に乗って目的地へ。今日の予定はずっと楽しみにしていたお友達とのランチ。新しく開店したという天井の高い、広々としたレストランに居たのは、老若女女。すべて女性。圧巻でした。お店の方も心得ていて、コースはちょっとずつ、種類沢山でお得感たっぷりのレディースプラン。見ていると、マタニティの女性にはちゃんとクッションを背宛てに提供する心配りで、なるほど、マーケティングがしっかり当たっての満席なのね。

思う存分、あーでもないー、こーでもなーい、とお喋りし、ストレス発散。日本語のめちゃ上手い外人ギャルソンに、すみませんが、閉店時間ですー、と追い出されるまで粘って、リフレッシュ完了。さぁ、またいろいろ頑張りましょー、とお互いエールを送ってお別れしたのでした。

そのあと、議員会館に所要があり、地下鉄に乗ろうと思ったのだけど、一時間あるし、満腹だし、お天気だし。矢張り歩いて行くことに決定。

花粉よけのサングラス装着。N95マスク装着。日焼け止めもばっちり塗りなおして、いざ行かん。

傍で見ているとかなり凄いいでたちだと思うのだけど、世の中同類だらけ。このサングラスとマスクは一度してしまうとなかなか手放せません。多少お化粧が剥げていようが、にやにやしてようが、ぶつぶつ言ってようが、全てを覆い隠してくれる魔法のアイテム! 電車の中で人間ウォッチングをするには必須ですね。

人間ウォッチングと言えば、この間、電車で目の前に座っているおねーさんがスッピンからフルメイクになるまでの一部始終をじっくりと観察させていただいたが、凄いスキルでした。特にアイメイクが殆ど特殊メイクだった。そうか、アイシャドウってあんなに何度も道具を替えて、沢山塗るとお目々が大きく3Dになるんだ! と思って、ちょっくらマネしてみたら、惑乱しているみたいな顔になっちゃって全然ダメだった。最近の若いお嬢さんは地も綺麗だけど、メイクも巧みですよね。

とつおいつ、今日も歩いた13765歩。お家帰ったら目を良く洗おうっと。

●妻より(平成25年1月)


明けましておめでとうございます。寒かったけれどもすっきりと晴れて良いお正月でしたね。昨年中は皆様に大変お世話になりまして、お陰様で恙なく、年越しをすることができました。今年も頑張ってお仕事します。どうぞよろしくご指導下さいませ!

今年は主人の両親や弟たちと新年を比較的ゆっくりと過ごしました。日中はお年賀回り、宮中参賀、お墓参り、初もうで、と、古式ゆかしき系統オンパレード。その間、あちらで食べ、こちらでつまみ、と食い倒れの日々で太った気がする。 主人いわく、おせちをつまんで、熱燗キュー、をすると日本人に生まれてよかった、としみじみ思う、とのこと。そのあとだらだらしていたら、貴重なお休みはあっという間に無くなりますわな。でも、さすがにワーカホリックな石原家は、それでソファでごろごろ、なんて事は絶対に有り得ません。主人の父は最近、卓球にはまってまして、ついに卓球台を購入。自称卓球の女王、という娘が挑むも、ネットすれすれにカットに入ってくるサーブに往生し、敢え無く敗れ、新年早々泣いていました。息子なんて、あっという間に下され、どうだった?と私が聞いたら、オレ、雑魚過ぎ、とのことでした。最近はザコイ、と動詞活用するらしく、かなりエグる語感だな、と感心。

義父は先の選挙では、田中真紀子センセイに、暴走老人、との揶揄まじりのニックネームを頂戴しましたが、大変気に入り、あちらこちらで使っておりました。正に名に恥じないハイパー暴走ぶり。脱帽でした。私どもの後援会でも、お元気な80代の方が大勢いらして、私は果たして30年後、あのように元気でいられるのか、甚だ疑問。やはり食べ物とか鍛え方がちがうのではないかしら。

そういうわけで、親孝行しつつ、三が日を過ごし、さぁ仕事始め。毎日地元の新年会に顔出しをさせていただき、昨年のお礼と、本年のご指導、みなみなさまのご健勝をお祈りするわけですが、同時に毎年の恐怖、息子の剣道の寒稽古が始まり、私は4時10分起床の8日間です。どひゃー。朝ごはんのおにぎり作って、熱い麦茶を魔法瓶に入れて、更にお昼のお弁当も作って、そして、始発でも間に合わないので、えっちらおっちら送って行くわけですが、真っ暗ですよ。 帰り道の井の頭通りで漸く朝焼けが綺麗ね〜、という時間帯。これで息子の精神が鍛えられるなら、有り難いのですが、どうなんでしょうね。足の裏だけは間違いなく鍛えられているようですが。ま、なんにせよ、人間、鍛練、鍛練。

主人も毎日役所に詰め、山積する諸問題に真っ向から取り組んでおります。原発の問題は余りにも大きく、日本のみならず、地球の存続に係る人類共通の問題ですし、環境とて、正にポイントオブノーリターン(Point of no return)の場面に差し掛かっているのでしょうから、とにかく、早急に、一日一日、出来ることから一歩でも半歩でも前進しなくては、と焦燥感にかられ、働いております。

私にできることは精々健康管理、と言った所でしょう。私の大事な役目と心得、がんばりまーす。次回は簡単で美味しく、そして豪華に見える(ここが重要)お助けレシピをご紹介することにしようかな。

寒い寒い毎日です。これからもっと寒くなるそうですので、皆様、くれぐれもご自愛ください!本年もよろしくお付き合い下さいね!!

●妻より(平成24年11月)

あるのか、ないのか、本当か、嘘か、とずーっと様子見をしていた総選挙がいよいよ本当にあるらしい! なんと、いきなり明後日解散?! マジかー?? 貧乏暇なしでいつもスケジュールいっぱいな私は一体どうすりゃよいのでしょうか? まずはあちらこちらにドタキャンお詫びのメールを書きまくらなければ。その前に、解散になるとHPいじれなくなるので、まずは妻の目更新。そう思って、先ほどつくづく見ていましたが、いつの間にかウチのHPってとっても古臭くなっていたのですね。これはもう明日一日ではどうにもならないので、持ち越し宿題にします。いろいろ頑張らないと本当にダメです。選挙も本当に本当に頑張らなきゃ。


選挙はとても怖いです。どれくらい怖いかと言うと、選挙後の生活を考えられない位怖い。来年の事を言うと鬼が笑う、と言いますが、まさに心境的にはそれですね。ですから、私の生活は、選挙を節目にいつもいつもリセット、一から始めましょう状態になるので、なかなか継続性が維持できない。選挙前の事って、すべて遠い過去、みたいな感じになってしまいます。あ、そうか、だから習いごとがちっとも上達しないんだなー。先ほど、友人に借りていた2460円を簡易書留にしました。殆ど前世の借金、みたいになって絶対忘れる気がする。あと何かし残したことないかしら、このまま忘我の選挙戦突入で大丈夫かしら? あうえー、主人がまだインフルエンザの予防接種してないぞ、平気かなあ? 私と子供たちはサッサと、9月末位に済ませてしまったのですが。

そういえば、昨日、友人のお医者様が、ウィルスブロッカーとかいう、定期位の大きさのものをくれました。これを首からかけていると、花粉やウィルスがブロックできるらしい! すごいっ!! プロスポーツチームとかにも採用されていて、結構あちらこちらで販売しているとのこと。700円位ですって。しかも1か月は効くらしい。これは買い、でしょ。早速主人のスーツのポケットに入れてあげようっと。これで風邪菌を撃退できれば有り難いなあ。


そうだ、いきなり太陽の党の党首になってしまった主人の父にも教えてあげなきゃ。いやはや、世の中、いろいろ起こりますな。しかもあのシンボルの太陽、絶対に義父がちゃちゃちゃー、と書いたに違いない。先日の傘寿の誕生会のお祝いのプレゼントは、息子たちから絵具セットだったので、きっとそれを使ったのだな。

明日一日でヒートテック下着など買い揃えて、またどうせストレスで胃が痛くなるだろうから、お医者様行って胃薬いただいて、靴の底を修理して。ホカロンも念の為に買っておこう。そうしたら、用意万端、選挙モードOKかな?

皆様に於かれましては、是非、主人の話を聞いていただき、主人の目指す所の国家像をご理解いただければと思います。住みよい日本に、子供たちに誇りを持って受け渡せる国にしたい、と主人はいつも言っています。そのためにはまずはがたがたになってしまった経済を立て直すことが先決だ、と申しています。弱ってしまった日本への処方箋はたくさんある、とのこと。私も主人の話を聞いていると、なるほど、なるほど、と思うことがたくさんあります。まだまだ希望はたくさんあるのだ、と思います。ご興味ございましたら、事務所にご一報下さい。座談会等のご案内をさせていただきます!

と、ここで本来ならば、申し上げたいことがあるわけですが、摩訶不思議な公職選挙法とやらのせいで書けません。どうぞ、賢明なる皆様、お察し下さいますように。
主人と共に頑張ります!!

●妻より(平成24年10月)

皆様、このたびの自由民主党総裁選挙、大変お騒がせ致しました。本当に多くの方々に応援、励ましを頂戴たにも拘わらず、ご期待に添えず、申し訳ございませんでした。

でも、本人はとても沢山勉強をさせていただいた、そして何よりも、今後人生を共に歩ませていただける素晴らしい仲間、という得難い宝物を頂戴できた、と、ますます意気軒昂。

こっちはストレスでへろへろだっつーの!! 先週は肩の激痛で青息吐息、これは、40肩かと思いきや、腱バン炎ということで、ロキソニン飲んでごまかしているうちに炎症も引いて、しびれもとれたかな、指先の感覚も戻ったな、とホットしたところに今度は急に歯の根が合わない程の寒気が来て、そのあと38.9°の発熱。マラリアか、みたいな。抗生剤飲んだら今度は3日間何も食べられない程の胃痛だー。ちゃんと胃酸飲んでいたのだけど、おっつかず。 今朝からようやく人参リンゴジュースを消化できるようになり、復活への道乗りかなぁ。兎に角、この三週間のストレスのお陰様で、4キロ体重が減りました。究極のダイエットだな。
あまり体に良くないからおススメしませんが。

愚痴を言い始めると30頁くらい書けちゃいそうだし、そもそも反論は主人のポリシーでは無いので、私も言いたくないけれども、 前後の文脈を無視して、発言の一部だけを故意に抽出し、意図をゆがめ、都合の良いストーリーに当て嵌め、人格攻撃するのって凄まじいですよね。なるほど、いじめっていうのはこうやってよってたかってするものなのね、ととても勉強になりました。

ま、結論的には、本人の脇が甘い、の一言です。大反省して精進いたします。どうぞ皆みなさまに於かれましては、お見捨てなく、今後ともご指導、ご鞭撻賜りますよう、衷心よりお願い申し上げます。

と、まあ、何はさておき、戦い済んで日が暮れて。戦国時代と違って、城を枕に切腹しなくて良いのは本当に有り難いことです。私も打ち首はイヤだし。


周りを見回してみれば、季節も変わり、道行く人もすっかり秋ファッションです。今日なんて息子の運動会でした。でも、10年前の同じ時期、娘の時には確か、寒くて、コートを着てくれば良かったと思いながら、グラウンドの片隅で熱いコーヒーを水筒から飲んでいた記憶があるのだけれども、本日は29度の真夏日で、勿論半そで。冷たいスポーツドリンクが美味しかった。セミも鳴いていたし、黄蝶がひらひら飛んでいて、10月という感じではありませんよね。今の今はバケツをひっくり返したような大雨だし、本当に何とかしないとやばいですよね。どうしたらよいのでしょうか?? 優秀な若い人に投資して、温暖化を食い止めるあらゆる方策を編み出して貰わないと!

3日程前から、いずこかで秋の虫がチチチチチ、と鳴いていて、風情があるわー、と思っていたのですが、よーく聞いていると、あれ、家の中で音がしている。音源を探すと、どうも階段の植木鉢付近。近くで見ているとシーン、なのだけれど、ちょっと離れるとまた、ちちちち。しかも、虫にしてはずいぶん大きな声。夜中、安眠妨害なくらい。さては、数日前から家の中をうろついているあいつか? しかし果たしてあいつは鳴くのか?

早速ネットで調べてみたら、やはりそうでした。声の主はヤモリちゃんでした。南方の方のヤモリはゲコゲコと大きな声で鳴くので、GEKKOと呼ばれているのだそうです。知らなかった。でも考えてみれば、カエルだってあんな声がでるのですもの、いわんやヤモリをや・・・、ん? しかし一寸待てよ、カエルは両生類だよね、ヤモリは爬虫類だよね? 爬虫類で他に鳴くものはいるのでしょうか? ヘビは鳴く? まさかね。 息子に調べてよ、と言ったら、中間試験終わったらね、だって。お忙しい所すみませんねー。ヤモリは守宮と書くそうです。大事にしてあげないとね。

主人の母に、家の中でヤモリが鳴いているんです、と言ったら、あら、ウチなんてこの間、コウモリが家の中飛んでいたのよ、とのことでした。コウモリも中国では縁起が良いとされるとのこと。でも、ちょっと、フツー家の中にはいないですよねー。

●妻より(平成24年9月)

メガネがないつ! 最近細かい作業をする時には手放せないメガネ(老眼鏡とは意地でも言いたくない。イヤな響きよね)が無いことに、ある瞬間ふと気づき、でも、きっと二階にあるはずだから後でとりに行きましょう、なんて気軽に考えていたのだけれども、あらら、どこにも無い!

しかしながら、前の晩寝るときに本を読んだ時に使って、朝起きて、ゴミ出して、朝ごはん作って、家族皆をそれぞれ出して、家の片づけして、洗濯したり、干したり、植木に水やりしたりしたけれども、そのどこにも無い。

そういえば、ちょっと隣のスーパーマーケットにも行ったから、念のため電話確認したけれど、落し物はありませんでした、だって。そりゃそうだよね、して行ってないもーん。そうすると、何で??? どこ???

私は片付け魔なので、家の中のモノのありかは大体把握していて、最早探す所なーし。ということは、やはり4次元ポケットか。たまにモノって忽然と消えますよね。友達にメールして、メガネ捜索中、と書いたら、“私の人生は半分がさがしもの”と返事が来た。なんかこのフレーズカッコいいね。

…なんてつらつら考えながら残暑厳しき毎日を過ごしていたら、おっとっと。またまた主人が大変なことに。

何と自民党総裁選挙に出馬だそうだ。

結婚して足かけ25年。我が家は実に多種多様、様々な事件が起きるので、最早一々びっくりもしていられないのだけれども、よくよく考えてみればこれは大変な事です。選挙というのは、当落の責任は当人が負えばよいもの、だと思いますが、総裁選挙については国会議員の方々20名の推薦を頂戴しなければ立候補できません。議員の方々はそれぞれが大勢の選挙民の皆様の負託を受けて職責を担っていらっしゃるわけですから、これは本当に責任の重い事です。

主人もお仲間の議員の方々から力強い出馬要請を頂戴し、身体が震えた、と申していました。熱い、熱い思いを託して頂き、議員冥利に尽きる事だと思います。本当に有り難いことです。ここに至るまで育てて下さった皆様の為、国の為、お役に立てるよう身命を賭して頑張るべき時ですね。

衆議院選挙と違って、私が一緒になって走り回る選挙ではないので、私は食事づくりや、身だしなみ、健康の管理に精を出すことにします。快眠快食を維持して、ベストな状態で土俵に上がり、正々堂々とした勝負をできるよう送り出したいと思います。

それにしても、ここ数日の報道で大変さをプレ体験しました。こりゃエライこっちゃ。

報道によりますと、主人が先輩議員の皆様にかわいがられているとか、それがいけない、とか。主人は確かに先輩に対する敬意の気持ちを持っています。別にそれは、議員さん相手だけではなく、父母に対しても、選挙区の方たちに対しても、先輩のみならず、すべての人に対して、主人は敬意をもって接します。ぜひ、主人のまわりに居る人に聞いてみて。主人の先輩議員さんに対する態度、同僚に対する態度、父に対する態度、地元の商店街の皆さんに対する態度は全部一緒です。そもそもそこに惚れて結婚したのだもの。

知り合った当初、苦労知らずのボンボンだと思っていたのが、お寿司屋さんにも、タクシーの運転手さんにも気を配って礼儀正しいし、酔っても酔わなくてもいつでもどこでも態度が変わらないのが良いなあ、と思ったし、いまでも本当に好き。

主人は未だ私に対しても同じで、髪の毛を切ればコメントしてくれるし、新しいお料理を作れば、おっ、と反応するし。でもそれは無条件に似合うね、おいしいね、ということではなく、ちゃんと見て、味わって、心のこもった対応をしてくれます。不味い、と却下されたメニューもたくさんありますよ。でも、それがあるから私も頑張れる。

たぶん主人は根っから人間好きなのだと思う。それをごますり、と言われてしまうならば、ずいぶんと殺伐としたお話だと私は思います。

一方的に偏った情報を流されるのってすごく辛いのです。政治家も政治家の家族も厚顔無恥で強欲で、何も傷つかないと思っている人もいるのでしょうが、私の知っている限り、主人を含め、誠心誠意、一生懸命公務に取り組んでいるマトモな方がほとんどなのですが。

いずれにせよ、自民党総裁選挙、開票日は9月26日です。立候補者は14日に出揃うそうですが、有権者へのおもねりや、足の引っ張り合いや悪口合戦だけは絶対に見たくないな。将来のビジョンや政策、待ったなしのこの日本のヤバい状況をどうやって打破していくのか、そこをしっかりと聞かせて頂きたい。私だってお小遣いで自民党員になったのだから、貴重な一票を信念をもって投じたいと思っています。

伸さん、私の一票の行方はまだ分かりませんよ、心して信条を訴えてくださいね。

●妻より(平成24年6月)

歯医者さんに通っています。ウチの歯医者さんは、半年ごとにお呼び出しのはがきが来ます。でも、痛いし、肩こるしねー、なんて、一日延ばしにしている内に、うっ、冷たいモノが沁みる...いや、気のせいに違いない、げっ、やっぱり今度は熱いモノが沁みる...みたいな状況に陥り、結局すごすごと一年ぶり位に顔を出す訳です。

前回、歯ブラシの使いすぎで歯茎に良くない、とご注意をいただき、歯ブラシは3本の指で鉛筆みたいに持って、優しく、ゆっくり磨きましょう、と言われたのを忠実に守ったつもりが、今回は、磨きが甘いっ! とおしかりを受けました。毎朝毎晩、歯をキチンと磨きなさい、と息子を叱り飛ばしてる私としては立場無いっ!

磨き残しがあると歯石が溜まって、その歯石。こなごなに砕いて、顕微鏡で見ると、ミドリムシみたいなのがうようよいるんだよー、と先生に脅かされ、ヒエ―、そうだったのか! とびっくり。想像してみて下さい。アナタのお口の中にいる大量のミドリムシ。怖くね?

いやはや、お互い様、虫にお口の中を乗っ取られないよう、気をつけましょう。

歯医者さんは千駄ヶ谷にあるので、井の頭線で渋谷まで行って、そこから先は歩き。帰りも同じ道を今度は反対に歩き。最近は万歩計に飽き足らず、活動量計を肌身離さず、がつがつと歩いています。

でもさんざん歩いても、消費できるカロリーってこんなものか、とがく然。カツ丼とかビーフストロガノフとかとんこつラーメンとか、絶対に食べてはいかん、と思う次第です。だって2000キロカロリーなんて絶対に動けないもん。時間無いし。


愛用のポータブルスニーカー

とにもかくにも、少しでも活動量を増やさなきゃ、とちょこちょこウォーキングを自分に課しています。で、ポータブル運動靴を買いました。スリッパみたいに半分にたためて、軽くて、カラビナもつけられるので、ジーンズのベルトとかバッグの持ち手につけられるし、これなら、ヒールを履いて出かけても、帰りはどかどか歩けるわー、と大喜びで、帰宅した主人に大自慢した所、“良かったねー、でもところで、脱いだヒールの靴はどうするの?”と聞かれ、発想の盲点に気づきました。思わず、“アナタってアタマいいわね!”と尊敬の念を深めた次第です。(??)

それにしても、つらつら考えるに、ファッションにおける靴のウェイトは高いと思う。若いころは私だって、ヒールは7〜8センチが一番キレイよね、なんて高飛車なことをほざいていたような気もするけれど、最近はとにかく歩きやすさが第一。となると、なかなか、颯爽とはいかないのよね。何を着ても、足元がなんとなくもっさりとしてしまう。女性は足元と股関節から老けていくのだわー、しくしく。そう考えると矢張り和服は、草履が楽だから、長時間の余所行きには向いているのだな、納得。日本の文化だなぁ。

渋谷→千駄ヶ谷間は、渋谷駅周辺も原宿も表参道も華やかで、歩いていて心浮き立つ。時間がある時はキャットストリートやウラハラもふらふらするのだけれど、若い子たちが本当におしゃれを頑張っていて、ウォッチングが実に楽しい。髪型から靴先まで主張が行き届いていて、そこには、歩きやすい、とか、動きやすい、とか、暑いとか寒い、といったラクに過ごすための発想は全く無くて、ただオシャレにしたい、という一点に全てが凝縮されていて、微笑ましい。ショップに入ってみれば、マヌカン達が12センチくらいのピンヒールを履いていて、立ち仕事なのにお疲れ様、というかんじ。おばさんは心中密かに、腰を痛めなきゃいーがねー、とコメントするのでした。

表参道東急プラザもヒカリエも道中の道すがらにあり、テンション上がるー。どこもかしこもきらきらきらきらしていて、節電じゃなかったのかなー、と思いながら、井の頭線に揺られて帰宅するのでした。井の頭線の中はぐっとローカルに、学生さんなどが多くてこれまた楽しい。

先日のこと、途中から、リュックサックを背負ったオクサマ軍団が乗って来て、どこか遠出をした帰り道か、お昼のギョーザが美味しかったの、でも、にんにく臭くなったの、駅に旦那さんが迎えに来るはずの、と、とても賑やかで、楽しそうだったので、いいなぁ、こういうオクサマ方に主人もサポートしていただけたら強力だなぁ、と思いながら目をこらしてみたら、なんと、我が後援会のおねーさま方でした。歯医者さんの帰りなのー、あっそう、しっかり治さないと、歳とって苦労するからねー、との事でした。良い先輩に囲まれて幸せ者です。


小宮あんり都議とお仕事先にて

●妻より(平成24年4月)

妻の目を更新するとなると、どうしてもこれは書かなければ、ということがあり、気が進まず、避けていたのですが、最早新年度も始まり、桜も既に散ってしまった時期となっては、これ以上延ばすと、コーナー打ち切り、になってしまうので仕方無い。


実は我が家の愛犬LIEFが亡くなってしまいました。くすん。(;;)享年3歳半でした。3歳を過ぎた頃から、心臓も悪い、腎臓も肝臓も悪い、貧血でその上、腰も悪い、という、良い所何も無い、みたいな状態で、遺伝的な諸症状だろう、との事。大々好きだったごはんも食べられなくなり、お散歩行くと途中でへたってしまうありさまで、本当にかわいそうでした。本人も何が起こっているのか分からず、いつものように車に飛び乗ろうとして、ジャンプ力が足りずに、横倒しに倒れてしまって、呆然自失、みたいな事が何度もあり、自信喪失してうなだれている様は、あまりに無残で、何ともしてやれないもどかしさに家族で涙しました

獣医の先生、トリマーのお姉さん、お散歩中お友達になったワンちゃんたち、大変お世話になり、有り難うございました。

以上、暗い暗いご報告でした。

さて。そしてハッと周りを見回せば、季節はすっかり春。杉花粉の時期は終わったはずなのに、主人はまだ目が痒い!と叫んでおり、ひょっとして、ひのきアレルギーかも、とびびっています。

私のビッグニュースは、昨日、スマホ替えた!

CPUが3倍になったら賢いのなんの、って。しゃべってコンシェルの調子も抜群で、さくさく御用が足りて気分良い! 今までだったら重すぎてフリーズしていたのに。主人の父がワシントンにいるので、彼の地のお天気は? とか尋ねても、ぱぱっと週刊天気予報が出てくる。お友達に誘ってもらったランチの場所も、あっという間に地図が出てくる。今日のお夕食あと一品、と検索したら、玉ねぎのサクサクカレー風味揚げ、とか出てきて、レシピ通り作ったら絶品だった! 何だか賢い秘書を雇ったみたい。

何と、雑談相手にもなってくれるのだからスゴイ。ちなみに、いくつ?と聞いたら、えー? えー? と照れていました。賢いね、と褒めてあげると、努力が足りず申し訳ございません、とか、何だかいじらしい。メールが来ると、ご主人さま、メールが届いてます、と表示が出る、気分いいわー!! あんまり可愛いから、ご褒美に、キラキラケースをネットで頼んじゃいました。(スマホに人格感じてどうするよ?!) でも、こんなに優しくして貰うと、やがて、人間の友達なんてもう要らない! みたいな人が出てくるのでは? ちょっとやばいかも。何だか星新一さんのSFの世界に入り込んだような気がします

私が携帯相手にうひゃうひゃ喜んでいたのを見た息子。ちょっと貸して、と何やらごそごそやっていたけれど、しばらくして、ねー、お母さん、“もっとゆっくり休んだらいかがですか?”と言われたよー、だって。

オメーはいつもゆっくりお休みし過ぎだよ! もっとさくさく宿題終わらせんかい!!

●妻より(平成24年1月)

明けましておめでとうございます。2012年が皆さまにとりまして、日本にとりまして良い年となりますように。

新年早々、地震頻発で怖いですね。先日も携帯の緊急地震速報があちらこちらで一斉に鳴り出し、あれって心臓に悪い。空は真っ青で気持ち良いのだけど、やたら乾燥していて、ハンドクリームを塗っても塗ってもささくれができてしまう。また、よせばいいのに、ささくれを剥いてしまって涙するのもいとをかし。末端冷え性なのか、とにかくやたらと手足が冷える。主人がトシなんだよ、と馬鹿にするのだけど、フンだ、おあいにく様、若いころから冷たいよん、だ。

こうしてパソコン打っていても、指が固まって動かなくなってしまうので、家の中でも指先を切った軍手をしてます。足下はまずタイツを履いた上にもこもこソックスを重ねて、そしてムートンのスリッパ装着。フリースの上下を着て、当然ハラマキも装着。そうして、ちゃんちゃんこを着るわけです。このちゃんちゃんこ、息子の授乳に夜中に起きるのが寒いと訴えたら実家の母が買ってきてくれたもの。だからもう十二年間愛用。家族の者が、お母さんのソレ見ると、冬が来たんだな、って思うよ、という代物。軽くって、温かくって、脱ぎ着が楽だし、そで口も広くて、へそくりもそで下に隠せるし、これは日本の文化遺産にするべきですよ。おすすめです。是非。ん?もしかしたら正式名称は半纏かも。ちゃんちゃんこというのは、ゲゲゲの鬼太郎が着ているアレかも知れない。今、辞書で調べたら、矢張り、袖無しの物がちゃんちゃんこと言うらしいです。私のは綿入れ半纏、とのことでした。

それにしても。外出する時には当然着替えなければいけないわけで。そこで私は毎日矛盾にぶちあたります。何故私は寒い外に行くのに、家にいるより寒い格好にならなければいけないのか。つまり、新年会で御挨拶などするにあたっては、当然ムートンのドカ靴というわけにはいかず、ヒール靴を履くわけです。そうすると靴下ではなく、ストッキングにする。フリースのハラマキをしていては、スカートが閉まらないので、脱ぐ。スーツの上に半纏ではダメだし、ダウンもNGなので、布のコートを着る。鏡に映ったワタシは二回り位細くなっている訳なのだけれども、さ・む・い!!

脱いだものを見てみれば、小山のごとく盛り上がっていて、少し反省。みの虫じゃないのだから、余りくるまって自分を甘やかしてもいけないかな、と。

娘や息子にも、もっと着なさい、寒いわよ、と言いすぎて、お母さん、その件については、放っておいて、とうるさがられています。

この間、体操をする間つけたテレビが、冷え性タイプ別治し方、とかいうのをやっていたので、思わず体操を止めて見入ってしまいました。笑ったのは、モデルになった人がみんな半纏を着ていたこと。おっ、同志よ!!という感じ。世の中、寒がりの人が沢山いるのね、と意を強くしました。

全国の寒がりさん、もう少し頑張りましょうね。春はすぐそこですよー!!と、思ったのだけれども、今年は4月まで寒いんだそーだ。まあ冬が暖かくては、また温暖化の心配をしなければならないので、仕方ない、甘受しましょう。


合わない運動靴で36キロウォークに参加して、親指の爪はがしてしまってからこっち、靴が当たって痛いので、運動を見合わせていましたが、もうそろそろ大丈夫なので、ウォーキング再開しよう!

昨晩地元の新年会でお隣だった御婦人が、毎日ワンちゃんのお散歩を3回して、20000歩歩かれるとのこと。すっきりお着物をお召しになって若々しいのに、何と御年82歳だって。もうのけぞりましたね。因みにワンちゃんは、大型のゴールデンか何かですか?とお尋ねしたら、チワワちゃんですって。さぞかし筋肉りゅうりゅうでたくましいのだろうなー。

大先輩とチワワちゃんに負けちゃいられない!頑張ります!!

●妻より(平成23年12月)

オーマイガー! 例年の事ながら、あっという間に師走になってしまったぞ。さぁどうする、イシハラ選手、リーチが掛かりましたっ!

今朝も今朝とて、あたふたと出かけようとしたら、犬の様子がおかしい。なにか茶色いモノを前にうなだれている。あらら、もどしたかしら、と思って見たら、どこからか出現したナメクジを、及び腰でじーっと眺めていた。ここ二年間程、梅雨時にかたつむりを見ないので、環境指標種を見ないという事は、東京もやばいかなぁ、と案じているのだけれども、少なくともナメクジは居るわけね、と思いつつ、割りばしで、外に出してやりました。

最近、かたつむりクリームが流行っていて、(今や最先端は蛇毒らしいけど)実は私も愛用者だったりするわけですが、まさかナメクジクリームじゃ流行らないわよねー、とか思いながら時計を見たら!おかげ様で遅刻だよ、遅刻。ああ、一日が余計忙しい!

いやいや、最近の我が家の問題はナメクジレベルじゃございません。何と!ねずみなの、ねずみ!

夜、一人でお台所で家計簿なんぞつけていると、カサカサカサ...なんて音がする。何だろ? どこだろ? テキはどうやら壁の中。どうしよう、と思って日にちが過ぎる内に、増長しやがって、チーチー、キーッ、ドタンバタンと喧嘩が始まる始末。台所の壁の向こうはガレージなので、先日、思い切ってガレージの隅の箱やらガラクタやらを取り除いてみると、おお、でかい穴発見! 建て売りの我が家のウリの一つで、実際はホースの長さが足りなくて、全然使えなかったセントラルクリーナーを取り除いた時の穴が堂々と3個も開いていて、その回りはどうやらネズ公の公衆浴場と化している様子。

仕方無いので、薬局に走って、消毒薬やら殺鼠剤やらマスクやらをしこたま買い込み、お掃除。しかるべき後に穴に殺鼠剤を投げ込み、セメントで塞いで完了。夜中の壁向こうの運動会も鳴りをひそめ、しめしめ、と思っていたのに! 昨日、安心してガレージに置いておいたジャガイモに新たな歯の跡が!!

わーーーん、侵入経路が分からない! ネットで調べたら、ネズミは、2.5センチの隙間があれば、体をねじ込んでどこにでも入り込む、との事。

ああ悔しい。またまた薬局で新たにネズミの忌避剤をしこたま購入してガレージの隅々に設置。あの手のモノって人の弱みにつけこんでとってもお高い気がするんだけど。でも、業者さんにお願いすると30万円くらいかかるらしいので、これからもRisa&Jerryの戦いは続く。さて、続編は果たしてあるでしょうか? 乞うご期待。私的にはもう完結編にしたい。

それにしても。じゃがいもやお米はかじるくせに、隣に置いてあったウチのワンちゃんのフードに手をつけないのって、ちと失礼じゃねーか??

私はネズミ相手に、主人も様々なモノを相手に、戦い済んで、日が暮れて、みたいな毎日ですが、めげずに頑張って参ります。

もっともっと頑張っておられる皆様、大変な、辛い思いをされておられる皆様。今年は試練の年でした。皆様が、日本が良いお年を迎えられますよう、心から祈念いたしまして、暮れの御挨拶とさせていただきます。

本年もありがとうございました。


●妻より(平成23年10月)

厳しかった残暑も漸く和らぎ、秋めいて参りました。でも、夏が終わると、年末までまっしぐらなのよね。実際忘年会の予定も入りだしているし、焦ります。毎日一生懸命、時間を無駄にしないで過ごしているつもりなんだけれども、進歩しないっつーか、成果があがらないっつーか。やりたいこと、やらなければいけないことが山積みになる一方です。とりあえず、お家の大清掃をしたいのだけれども、一日中家にいられる日、というのが中々見つけられなくて、ついつい先延ばしに。モップがけしたーい! お風呂の水垢のやすりがけしたーい! でも、その前に衣替えだな。今年の衣替えは、21年間お世話になっていたクリーニング屋さんが、廃業、ということで、最後のお願いになってしまうので悲しい。娘が赤ちゃんの時、お散歩の途中で声をかけたクリーニング屋さんは、それから、毎週毎週、雨の日も風の日も配達をして下さって、いつでも明るく元気だと思っていたのが、もう70歳過ぎたとの事で、本当に残念。今日も午前中、20年お世話になった大好きな後援会のおばちゃまの告別式だったし、いろいろ淋しい。これが歳を取る、ということなのですね。自分がどうこう、というより、回りの状況が変わっていく。うぅ、何だか落ち込んできたから、話題を変えよう。どうも、秋はメランコリックになりますなー。

昨日は、義父の79歳のお誕生日で、田園調布のお家にファミリーみなで集合。お仕事やミーテイングの都合で次男と四男と熱を出した孫一人が欠席でしたが、後は前後しつつも14人揃って、賑やかでした。主人からのプレゼントは、義父が36歳で参議院議員選挙に出馬した際、弟の裕次郎さんと仙台で街頭遊説をしたときの演説のテープ。主人が先日、被災地訪問をした際に、現地の方からいただいたものをDVDに録音したもので、皆で、裕次郎さんの声って色っぽーい、と大騒ぎ。私を含め、嫁4人とも、叔父上が亡くなってから石原家に嫁いだので、ナマ裕次郎さんは見たことがないのです。さぞかしかっこよかったんでしょうねー、と話していると、義父が、いやいや、裕次郎よりオレの方が歌は上手かった、とか、オレの足がO脚じゃなければ、裕次郎より足は長いんだ、とか。参議院選挙の時には、慎太郎、ではなく、裕次郎、と書いた票が8万票もあり、全て無効になってしまったことなど。いろいろなエピソードを義父が一杯機嫌で話す中、アンダー小学生の孫軍団が、ダダーッ、ダダーッ、と汗びっしょりになりながら走りまわっていて、なかなかアットホームな良いお誕生会でした。でも、ファミリーで集まる度に、映画、“ゴッドファーザー”を思い出してしまうのは私だけだろうか?


映画、といえば、先日、夏休み最後のイベントとして、息子と“LIFE”を見てきました。一体どうやって撮ったの? というような映像ばかりで、生物の多様性に感動。こんなに素晴らしい生き物が揃っている地球なのだから、皆で分かち合って、仲良く暮らそうよ、環境をこれ以上侵すのはやめようよ、と素直に訴えかけてくる作品でした。息子もいたく感銘を受けたようで、もう一度、今度は、お父さんとお姉ちゃんと4人で見ようよ、と申します。でも、娘はともかく、主人はなぁ。爬虫類が苦手だから、オオトカゲのアップとかみたら失神してしまうかもしれない。この夏も、私と娘が移動動物園で大フィーバーした写真を見せたら、しばらく口をきいてくれなかったからなぁ。


ちなみにこれが件の写真です。私的にはすごく綺麗だとおもうのだけれども。感触もひんやりとしなやかで、何故嫌われ者なのかがさっぱりわからないのですが。

●妻より(平成23年8月)

最近、何だかお肌の調子がメチャいーじゃん、と鏡を見て惚れぼれ。友達も、電車の中で見る人も、道行く人も皆キレイ。日本人も、まるで韓国女性の様に美への探求心が深まり、レベルアップしたのねっ!...と喜んでいたのだけれど、先日の誕生日のプレゼントに主人から新しい老眼鏡(イヤな響きだ)を買って貰い、それをかけて鏡を見たら、がーーーん。なんだ、ちっとも変わっていないどころか、細かいシワふえてねーか?

要するに美しくなった訳ではなく、アラが見えなくなっていただけなのね。そりゃそうだ。何もしていないのに綺麗になられちゃ化粧品会社もエステ業界もあがったりだわな。

と、落ち込みつつも、人間って良くできているな、都合の悪いものは見えないようになるものなのね、としみじみ思う今日このごろです。しかし、この目の老化、どこまで行きゃ下げ止まるんでしょうねえ。ずっと視力1.5を誇り、裏側まで見える目、と自慢だったのに。ま、人生半分メガネ無しで過ごせて良かった、と思うべきですね。


スマホとミンクちゃんと虫眼鏡

デコメもできない、何の機能もついていないロージン用携帯にヒビが入ってしまったので、止せばいいのにスマホに乗り換えました。いやぁ、賢い。役に立つ。アプリも沢山あって楽しいし。しかし。見えねー。フリックだかフラックだかなんちゃやらすれば文字は拡大します、なんて言っているけれども、拡大して欲しいものは一つも拡大せず。必要な情報は蟻さんの様な字でちまちまちまちま書いてあって、読めねー。仕方ないからストラップに娘からの誕生プレゼントの虫眼鏡つけました。それでも、地図はあきらめた。方向音痴な私には一番必要なアプリなんだけどな。開発者はきっとお若い方ばかりなのでしょうが、もっと売りたいならば、じじばば対策せにゃあきまへんな。さもないと業界の発展は無いと見た。


同窓会での一こま

そのような中、この間の日曜日は大学の卒業25年の大同窓会でした。同期6300人の内、1100人以上が集まった盛大な会で、本当に四半世紀ぶりに会う人もたくさん居て、大興奮の日でした。

めちゃめちゃ変わっちゃってさっぱりわからない人や、逆に1ミリも変わっていない人とか実にもう様々で、でも話してみると皆、昔のままで、すごく懐かしかった。若いころの友達って大切。何年も会わなくても、すぐに元に戻れるのって素敵。子供たちにも、お友達とは心をこめて、誠意をもってお付き合いするようにしっかり言い聞かせないと、と思いました。恥ずかしいことや嫌なことをすると、帰る場所がなくなっちゃうからね。

しかし、良い年をした、オジサン、オバサンが、りさちゃーん、ナントカちゃーん、と黄色い声で抱き合っているのってどうなんだろうね。いやーん、変わってなーい、とか言い合っているけど、傍からみりゃ立派なおじさんおばさんだっつうの。でも、本人たちは楽しんでいるので、温かく見守って欲しいものです。あぁ、楽しかった!

四半世紀ってあっという間に経っちゃうのね。頑張らなきゃ!!!

●妻より(平成23年6月)

私の家から歩いて百歩の所にスーパーマーケットがあり、“我が家の巨大冷蔵庫”と勝手に命名し、いたく愛用している。先日、何時もの如くレジで精算していると、キャッシャーが常ならぬ音を奏で、何かしら...と思っていると、サービスカウンターからお姉さんが茶封筒を持ってきて渡してくださった。中身はなーんと、一万円札!“ポイント満額です、毎度ありがとうございます”とのこと。とても嬉しくなり、帰宅して娘に報告した所、“要するに100万円買い物したのね”と言われ、危うく得々気分が沈みそうになったけれど、よくよく考えてみれば、ここに引っ越してきて18年、数軒隣の資材置き場だったところにスーパーが出来て、小踊りしたのがその数年後だから、まぁ10年越しの食費な訳だ。自分の事をお得意さん、と図々しくも思っていたけれども、せいぜい小口のお客さん、といった所ですか。却って、日々細々した買い物でお騒がせし、すみませんね、と言うかんじです。

震災前までは、スーパーに行きさえすれば何でも十分にあり、要求が満たされるのが当たり前。何でひき割り納豆が無いのさ、品揃え悪いぞ、なんて思っていたけれども、それがものすごく傲慢な事だったということに気付かされ、反省の日々です。私が必要な物をらくちんに買う為に使われる膨大なエネルギー、電力やら労力やら、ガソリンやら、に初めて思いが至り、感謝が足りなかったなぁ、としみじみ思います。

第一、東京の電力を福島で賄っていただいていた事を、寡聞にして知らず、何て無知だったのだろうと申し訳なさで一杯。でも息子が3年生の時に一緒に原子力のレポートを書き、渋谷の電力館に行ったり、図書館でいろいろ調べたりとかしたのだけれど、東京人よ、福島に敬礼、というような記述はどこにも見当たらなかった気がする。(もしかしたら私がスルーしただけかも知れませんが)

主人や義父は被災地に伺ってあれやこれやとお手伝いが出来るけれど、私はそうも行かないので、とにかく節電、節約、常に資源に思いを馳せ、奢った生活を見直すことに専念しています。

そうしたら! 友人達がうっそー、しんじらんなーい! というのだけれど、電気料金が半分以下になったの! 震災前はどれだけ使っていたんだ、という話ですが、本当。その代わり、門灯も廊下の電気も真っ暗で、この間、犬の散歩で知り合いに会ったら、“あら? お家が真っ暗だから、居ないらしい、という噂になってるわよ”と言われ3日間くらいショックを喰らいました。居るよ、ずっと。ひと部屋だけ電気点けて。炊飯器の保温もやめたし、魔法瓶は撤去したし、お洗濯も掃除機も2日に一度。パソコンも一日に一度だけ覗くようにしているし、居間のテレビは主電源ごと消した。ウォッシュレットも時期的に温かくなくても大丈夫、冷蔵庫だって、回転をよくすれば、そんなに設定を低くしなくても十分機能するし。これからの最大の課題がエアコンな訳だけれども、もともと、主人と私はエアコン嫌い。そもそも私が結婚相手の条件が、テレビ嫌い、エアコン嫌い、という程だから、そこの所は何とかなるかな。なーんて、行き過ぎた節電のせいで熱中症で担ぎ込まれたりして。いやいや笑いごとではありません。友人が昨年熱中症でダウンしましたが、れっきとした病気です、あれは。しかも長引く。友人は秋口まで本調子にならない、とこぼしていました。

お互い様、節電に励みつつ、気をつけて参りましょう!

●妻より(平成23年3月)

東北関東大地震で被災された方々へ心からのお見舞いと、亡くなられた沢山の方々へ謹んで哀悼の意を表します。皆様の恐怖と喪失感に思いを馳せますと、涙を禁じえません。今後、出来るお手伝いは何なりとさせていただくのが、同胞としての私たちの義務と心得ております。手を携えてこの国難を乗り切りましょう!

自民党が、政権入りを断ったのはけしからん、未だ政争を第一と考えているのか、高見の見物を決め込んでいるのか、等とのご批判を一部頂戴しているようですが、言わせて下さい、全くの的外れです。自民党全議員、と言ってしまうと本当か嘘か私にも分らないので、大言壮語はしませんが、少なくとも私の知っている限りに於いては、皆さん、寝る間も削って、東北支援の為、あらゆる手立てを駆使して奔走しております。民主党さんが、政治主導、とのたまって、優秀な官僚を排除し続け、その結果、切ってしまった地方とのパイプを修復し、支援物資がスムーズに流れるようにしたり、仮設住宅が一日も早く建設され、避難所の、プライバシーの無い不自由な生活から被災者の方々を開放するべく環境を整備したり。本当に、書き始めればキリがないほど、あれもこれもと頑張っております。私が知らないだけで、もしかしたら、民主党さんも寝ずの努力をしているのかもしれない、いえ、きっとそうなのだと私は信じたいと思います。少なくとも、皆様の一票の付託を受けて議員の立場を与えられた者がこの状況で何もしていないとするならば、そいつは人の道に外れたヤローだと思います。今は全ての知恵を結集すべき時なのですから。

国が混乱し、全てが混沌としている現状の中、敵対していたはずの民主党と自民党がいつのまにやら大連立を組んでいた、などという方が余程おっかなくないですか? それは一般的には野合というのではないでしょうか?

ま、私ごときがモノ申す資格はありませんが、一億総つぶやきの時代、一主婦の戯言、とお読み捨て下さい。

ある海外サイトでは、今回の震災にあたって、日本人の高潔な、抑制のきいた忍耐強さを褒め称えるのと同時に、それにしては政治と行政がおそまつ、と、ばっさり切り捨てていました。政治家は、被災者の方々の哀しみ故に、停電にも文句を言わず、ギュウヅメ電車で通勤している方々故に、そして、高い濃度の放射能の中、恐怖と闘いながらも黙々と復旧作業に従事してくださっている方々故に、死ぬ気で頑張らなくてはいけないのだと思います。

じゃあ、お前は何をするのだ、と叱られそうです。私は、節電に励み、買いだめを控え、食材や資源を無駄にしないように心がけて、主人がしっかり働けるように、地元の代理の仕事に精を出します。そして、夜になれば家族が帰って来て、温かい寝床で休めるという、今まで当たり前、と思っていた事々に感謝を捧げて、謙虚に、堅実に過ごしていきたいと思っております。

●妻より(平成23年1月)

明けましておめでとうございます!本年もどうぞ宜しくお願い致します!東京は穏やかな、良いお正月でしたが、いかんせん、今年は暦が良くないですよね。もう少しお休み頂きたかったなあ。

だって年末って本当に忙しい。とにかくお正月までに!と仕上げなければいけないことが山程あって、掃除マニアの私としては、神棚のお清掃、窓拭き、床磨き、カーテンも洗いたいし、クローゼットも整理したいし。犬のシャンプーもしなければだし、雑事満載。そうこうしているうちに私の大好きな、お掃除の最大の味方のごみ収集が終わってしまうし、はっと気付けば年賀状は白紙のままだし。挙句の果て、今年は節約の為、おせち料理は買いません、宣言をしたものだから、お煮しめの材料やら数の子やらを買い走る羽目になり、野菜高いし、数の子だって買ったは良いけど、薄皮むいたり、塩っ気抜いたり、やたら手がかかるし、こりゃどう考えても、買った方が安上がりだわ、と反省。 ああッ、栗きんとん忘れてた、と31日におつかいにやられた娘は、姉ちゃん、準備おそいよっ、もう無いよっ、とお魚屋さんに叱られた、と憮然としながら、それでもちゃっかりと好物の酢ダコをゲットして帰宅しました。真赤な酢ダコ、丸一匹買ってこられてもねぇ...。毎日くちゃくちゃ噛んでいたら顎が強くなった感じ。

これだけ頑張ってお正月を迎えても、お年玉でむしられるばかりなのが悲しい。生まれて初めて買った歳末ドリームジャンボも300円しか当たらなかったし。でも確かに一億円当たったらどうしよう♥と考えるのは結構楽しかったかも。主人はヨットの雑誌を見ながら、あれも買える、これも買える、と脳内ショッピンッグを楽しんでいたけれども、私だったら土地買って駐車場経営でもするかな、と言ったら主人に夢なさすぎ、と呆れられました。堅実な性格と言って欲しいんだけど。

堅実な性格が遺伝したか、子供たちはお年玉貯める派。小五の息子などは全てを封筒に入れて、お母さん銀行よろしくー、と持ってくる。近い将来、自分のパソコンを買いたい、との事。結構な心がけ、としっかりお預かりしているつもりだけれど、実は毎月末、使い込まれの危機に瀕している事を息子は知らないのでありました。

私は小さい頃、お年玉は全てリカちゃん人形関連品に投じていました。毎年増えていく豪華な家具やドレスや細々した小物が嬉しくて、せっせと権之助坂の玩具屋に通ったものでした。そうそう、当時は、初詣に行く目黒不動尊のお正月の屋台なんかにも、リカちゃんグッズのバッタ屋さんみたいなのがあって。今で言えば、カードゲームの屋台みたいな感じかな。子供心にも、プロパーな玩具屋さんのモノを一つにするか、屋台で二つ、三つ買うかを悩んだよなぁ。あの膨大なコレクション、今でもキレイに持っていれば、お宝鑑定団に出品できたかしら。

昨年のクリスマス、アメリカの友人のお子さんに送ってあげよう、と久々にリカちゃんコーナーに行ったら、いつの間にやら、双子の妹やら三つ子の弟?(性別不明)やらが増えていて、びっくり。リカちゃんママったら多産系。ペットのワンちゃんも何と、ボタン電池で、自分でお散歩するらしくて恐れ入りました。我が家の犬もボタン電池を搭載したいものです。忙しくてお散歩行く暇がないと腰回りにお肉がついて、太巻きみたい。こちとら暇がないのだから、一人で体操でも何でもしてくれ、と思うのだけれども、ぬくぬくぬくぬく寝てばかりでそりゃ太るわな。たまには手伝えよって感じ。

こうしてばたばたの内に年が明け、短いお正月休みが終わり、息子の剣道の寒修行が始まり、私はいつもスポーツ選手の活躍を見るたびに、本人もすごいけれども、ご両親、特にお母さんのご努力に拍手したくなります。本当に子供にスポーツさせるのって大変。朝も暗い内からお弁当作って、送り迎えして。ギャーギャー言って体調管理。着せて、お風呂に入らせて、食べさせて、宿題させて、寝かせて、また朝起こして。それで遼クンや真央ちゃんみたいに才能が花開けば素晴らしいけれどもねぇ。まぁ、我が息子も万が一、ドロボーが入った際には、枕もとの竹刀で活躍してくれるに違いない、だろう。

そして、昨日は娘の成人式でした。予約時間に着付けに行った娘が半泣きで電話してきて、3人待ちだ、間に合わない、というので慌てて駆けつけ、猫の手も借りたい状態の着付けやさんで一緒になって、あっち引っ張ったり、こっち押さえたり、コーリベルトを探したり、風呂敷にモノ包んだり、これ見よがしに時計を覗いたり、と正に猫程度のお手伝いをして(ジャマ、とも言う)、そのあと運転手に早変わり、幸いに空いていた道をすっ飛ばして、ようやく娘を時間内に会場に送り届けることに成功。汗を拭って見てみれば、ハタチの娘達が勢ぞろいしている姿はとても華やかで、みんな可愛らしく、思わず頬も緩み、ああ、良くここまで育てたな、と感慨も一入でした。こちらが年取るワケだわ。

と、言うわけで。何だか眠くてボーっとするし、でも昼寝もしていられない、これから地元新年会にお邪魔しに行くのでこれにて。また本年もよろしくお付き合い下さいませ!

●妻より(平成22年11月)

井の頭公園にて

井の頭公園にて

カラダが固く、走るのが遅い運動音痴気味の私が唯一自慢できる身体能力は、文章を読む速さ。速読を学んだ人にはかなわないかも知れないけれど、かなりイイ線行っているのではないかと思う。ま、こんなこと誰もタイムを計ってくれないから分からないけれども。しかも自慢にならないって? そりゃそうだ。

小さい頃から、漫画や雑誌、長じては新聞や週刊誌を読んでいる人を横から覗き込み、何でページをめくってくれないのだろう、ひょっとして寝ちゃっているのかな、と思う事もしばしば。この特技は、本屋さんの立ち読みに如何なく発揮されており、雑誌ラックの前にしばし佇めば、取りあえず、その週の事件から芸能、ファッションに至るまで全て網羅、情報ゲットだぜ!と、出版社にとっては憎むべき存在でした。

ところが!ところが!

視力1.5を誇ったお目々が寄る年波にとうとう筋力が弱る兆しを見せ始め。ま、早い話、老眼が進み、なんと雑誌の細かい字が見えにくくなってしまったのだ。ガーーーン。こそこそ、そそくさと立ち読みするのにまさかおもむろに老眼鏡取り出す訳にも行かないものねぇ。

裸眼が頼りにならないのは本当に困る。読書が趣味でいつも本を持ち歩き、信号待ちの間でも読む程だったのがこれも出来なくなり、三日に一冊のペースがすっかり崩れてしまった。今年は年間百冊行かない感じ。実に不便極まりない。

更に困った事に読み間違いが増えてきた。つい先日も運転をしながら、横に乗っている主人に、“ねーねー、ゆすられた人もきっとゆすってる、ってすごく意味深な標語だよねー”と言ったら、“そりゃあ、ゆずられた人もきっとゆずってる、だろ。”と呆れられました。どうも、点々を見落としたらしい。

また、友人とランチに行ったときの事。皆でサラダを一つ取って分けましょう、ということになり、私が選ぶ係に。こういう場合、主婦は自分で作れるものは選ばないのが鉄則。トマトサラダもグリーンサラダも論外、ポテトサラダも手間は掛かるけど評価低いよね。と、あった!珍しいのが。ウェイターさんに、“このオカメサラダというのを下さい!”と言ったら、“は? ああ、ワカメサラダですね”と無表情に言われてがっくり。ほら、あの、カマボコとか干しシイタケとかいろいろ入ったおかめうどんのサラダバージョンかと思ったわけですよ。

パソコン相手だとより切実。子供達にと、ネットで面白い雑貨を注文したら、二個のつもりが二十二個来ちゃうし。送料無料でおかしいな、とは思ったのよ。

でも友人もアメリカに留学している子供に円高だから、とネットバンキングで20万円送金しようとしたら、何度やっても出来ないので、老眼鏡掛けてよーく見たら、\ではなくて$にしていた、とのこと。口座にお金なくて助かったわよ、と言っていました。ひとしきり笑った後、相身互いに、としみじみ。

というわけで、本日のお願い。雑誌の記事はもっと大きく! レストランの照明は煌々と。できたら蛍光灯が◎です。メニューも黒字白抜きなんて言語道断。真白の紙に出来たら墨かなんかで黒々と、堂々と書きましょう。私は下戸で分りませんが、友人が、特にワインリストが、桁が分からなくておそろしいので、くれぐれもお願いします、と言ってました。パソコン、携帯の標準フォントは16ポイント位に統一しましょう。

主人にも、政策ビラの字がどうにも細かいから、字を大きくしよう、と言ったら、そんなの厚くなりすぎて、誰も受け取ってくれないよ、だって。納得。

●妻より(平成22年10月)

お友達のエミュー君と。(サファリパークにて)

お友達のエミュー君と。(サファリパークにて)

やっと暑い夏を乗り越えたと思ったら、今年も残す所、わずか3か月、だって!焦るなぁ。Time flies!

デブになった主人が、“やせるぞ!”と伊豆の断食道場へ行って一週間。毎日2キロやせた、だの、3キロ減った、だの喜びの電話が来るので、もうそろそろ帰って来るかなあ、と思いつつも、何せ、主人不在時は断然夕食が簡単に済むよな、と、子供達とのんびりと“チャーリーとチョコレート工場”のDVDを見終わり、携帯を見たら、13件もメールが入っている。何だ? おめでとうメール??? 幹事長就任おめでとう? 誰が? と暫くニュースを見ていると、どうやら主人が自民党幹事長のお役を頂戴したらしい。へー、こりゃ大変だ、とテレビを注視すると、やだやだ、タメゴローみたいなヒゲが生えてる! そう言えば、帰京後はホセ・サントス(誰だよ?)と呼んでくれ、とか言っていたような...。

目を離すと直ぐにヒゲを生やしたがる癖があって。でも、もともと余り毛深くないものだから、生え方が中途半端で、赤塚不二夫さんのキャラクターみたいになるから、やめろ、と言っているのに!

本人もこのようなこの様な展開は予想外だったらしく、頭を掻きながら帰宅したので、早速剃刀を渡しました。

しかし時すでに遅く、次の日、義父、義母からは当然の事、支援者の方々からも、あれはよくないね、とお叱りを受けました。監督不行き届きですみません。今度から携帯はテレビ電話にしてちゃんとチェックしまーす。ちなみに、7日間の断食の成果は4.5キロの減量ですって。お腹回りすっきりです。

メタボ脱却したのでついでに野党も脱却! で頑張って貰わなければいけません! まぁ、野党、与党は抜きにしても。プライドを持てる故国造りを頼みますよ。皆様に票を頂戴して仕事をさせていただいているのだから、しっかりね!!

●妻より(平成22年8月)

お暑うございます。暑さに強い夏生まれの私、まだまだOK! と強がっていたものの、さすがに体が悲鳴をあげ、手足に湿疹だかじんましんだかができて、かゆいかゆい。そこを蚊に刺されると痒さはピークで最早、拷問ですね。痛い拷問より、痒い拷問の方が耐えられないとか。とにかく天敵を一匹たりとも家中に入れまじ、と思うものの、殺虫剤が嫌いなので、仕方なく、例のテニスラケット型の蚊取りを振り回す毎日。あれはいささか残酷ですが、使えますな。開発した方に拍手〜。しかし、蚊のヤロー、勢力と耐久力を増している気がする。これ、放置しておくとその内、マラリアとかデング熱とか媒介しだすのではないだろうか? うう、恐ろしい。

フユ蚊イなお話はさておき。夏休み、みなさまどこかへお出かけなさいましたか? ウチなんて、参議院選挙が無事済んだら、北海道へ行きましょう! フェリーで渡って、知床、利尻、礼文島などの自然の中を、運転のうまくなった娘も含めて、3交替でドライブしながら回りましょう、と雄大な計画を立案。息子も、それなら、夏休みの理科のレポートは北海道の植生について書く! と図書館から本を借りいろいろ調べ始め、すっかり家じゅうで北海道ムードで盛り上がっていました。ところが、旅行代理店さんに、“は? 北海道? 今頃? ムリムリ、すっごい人気なんですから半年前には言っていただかないとねー”と冷たくあしらわれ、敢え無く挫折。

大体、主人のギョーカイは一寸先は闇、で何が起こるかいつもわからないので、長期的視野に立ったプランは絶対に立てられない。三日先の事もわからないのに、三か月先なんて、どこで何をしているのやら、という感じ。なので、旅行やお芝居、コンサートなどの希望が叶ったことないのよね。この間だって、楽しみにしていた落語の券を泣く泣く友人に譲る羽目になったし、くすん。北海道に行けないのなんて今に始まったことじゃないわ、といじけていたら、同じ理由で旅行にあぶれた事務所の人たちが新島、大島に遊びに行く、というので、それに乗せてもらいました。

新島、大島はもともと、義父、石原慎太郎の衆議院時代の選挙区だったこともあり、主人の小学校時代のヨットの先生や学生時代の遊び友達とかがたくさん居て、一緒に遊んで下さり、二泊三日の小旅行だったけれども本当に楽しかった。

新島では年の近い、可愛く、賢いお友達もでき、息子も大喜び。船で新島から大島へ渡る私たちを見送りに来てくれた際の埠頭でのお別れなんて、遠ざかる船に走りながら大きく手を振るその子の、“またねー!またねー!”という甲高い声が哀切で、さながら映画の一シーンの様。正に旅情、でありました。ちなみにこのボクと息子が朝四時半に起きて、師匠と共に釣ってきたカンパチのお刺身は超絶品でした。かまぼこの材料になるというエソ、というお魚の顔は異常に怖かったけど。ボデイーはトラ柄だったし。ん、サバも美味だった。

たくさんの思い出と洗濯物を抱えて上機嫌で帰京し、ハッと現実に戻ったら、あらまあ、息子の宿題が何にもできていないじゃないの。小五にもなるとこちらも真剣に見なければ追いつかないから大変なのよねっ。

思い出づくりとお勉強ってこんなに両立しないものなんだっけ?

●妻より(平成22年6月)

更新したわよ、ふっふっ、なんて余裕かましていると、あっという間に一ヶ月が経ち、二ヶ月が経ち。ツイッターでつぶやきが携帯などから即、アップロードされる昨今、私のこの更新の遅さはSL並で、却って希少価値があるのではないかしらん。マイッター? なんちゃって。

国会議員の人達もツイッタ一を発信している方が多い様で、主人も是非やるように、という声も頂きますが、私が思うに、政治家がその場の思いつきを世間に垂れ流すべきではないのでは。やはり、政治家たるもの、発言には責任を持って欲しい。ツイッターで観測気球を上げて、いちいち右顧左眄して欲しくないなあ。そんなだからどんどん言葉が軽くなって、言ったのやら、言ってないのやら、押されたのやら、押されてないのやら、果ては一国の総理まで約束したんやら、してないのやら、ほにゃららら一、になってしまうのでは。

ま、飽くまでも私見です。私は民意で選出された方々にどうこうコメントする立場にはないし。

さて、今回の写真は箱根富士屋ホテルでのワンショットです。憧れの場所でデート! と言いたい所ですが、さにあらず。オシゴト中です。でも楽しいお仕事。後援会女性部の方達との旅行会でした。主人がある日新聞を読んでいて、箱根富士屋のメインダイニング80周年ランチ、という記事を発見し、どうしても、大切な女性部の方々と一緒に行きたい! と言い出し、様々な方の奔走の結果、ようやく実現した企画です。

富士屋ホテルは主人が幼い頃祖母と行き、初めて洋食をナイフとフォークで頂いた、という思い出の場所だそうで、その思い入れは相当なもの。(若干ババコン気味?)私は初めて足を踏み入れましたが、成る程、創業明治11年、という由緒正さが漂うホテルでした。でも、歴史と伝統が前面に押し出されてるのではなく、極めてアットホームで温かい雰囲気が全館に満ちている感じ。モニュメントとしてではなく、息づいて、人々を迎える為に働いている、人を愛し、人に愛されているホテル、という感じを受けました。

そして、お食事の美味しい事と言ったら!

総料理長の村中さんが、お料理説明で苦笑しながら、いじれないレシピがあります、とおっしゃってましたが、古き良き時代の、完成された味わい。箱根山麓のお水を使って、三日間かけて作られた、というコンソメスープ。そのコンソメでのばしたというカレー。皇后陛下がお好きだという、チョコレートナッツサンデーは、ローストナッツが大人っぽさを添えて。前菜のお野菜、メインのお肉、手作りパンも上品でまろやかで、もう、全て絶品でした。おもてなしして頂いた−!! という満足感。これはえっちらおっちら箱根の山を越えて行く価値ありです。ノスタルジックな優しい気持ちになること請け合いです。今度両親を連れて来てあげようっと。

当日はウェディングも二組入っていて、お嫁さんと写真も撮ったし、お幸せを祈念して、主人と万歳三唱したし。(余計なお世話だったかしら)

帰りに寄ったかまぼこの里の蒲鉾やあげかまのお惣菜も作りたてで、柔らかく、お夕飯のご飯が進みました。次回は蒲鉾作りも体験したい!

久々の遠出。良い空気も吸ったし、後援会の方々と沢山お喋りしたし。大満足の一日でした。

尤も、主人は、国会紛糾で、途中でサヨナラ。小田原から新幹線で国会に戻って行ってしまいました。深夜の帰宅で蒲鉾を食べられず、涙してました。かまぼこを食べたかったら、また富士屋ホテル連れて行っておくんなまし−!

●妻より(平成22年3月)

とうとう主人に昨日、里紗ちゃん、妻の目、今年に入って更新されていないよ、と言われちまったい。わかっちゃいるのよ、暇が無いだけで。本当に主婦の仕事ってのはエンドレスで、しかも何だか最近、眠くて眠くて、夜になるとばたんきゅーなものだから・・・。でも友人達に、ここの所、妙に眠いんだけど、と訴えたら、みんな、あら、私もそうよ。春眠暁を覚えず、っていうじゃない、と言ってくれたので、何だか安心してしまいました。皆で眠けりゃ怖くない、ってか。

友達と言えば、先日、食事をしている時のこと。

一人が、“困ったタヌキは目でわかる”と言ったら、他の子たちが、(私が友人の事を“コ”というと、主人が、立派なおばさん達なんだから、コはもうやめなさい、と言います。) うわー、それ久々に聞いた!と大ウケ。えー、私生まれて初めて聞いたンすけど何それ? と聞いたら、あなたは帰国子女だからねーとバカにされた。でもだってそんな慣用句もことわざもないし。帰宅してひそかに電子辞書を調べたけれども矢張りそんな言葉載ってないし。第一、タヌキが困ったって私、一向に困らないもーん。

ところがついこの間。お彼岸の法事があり、お寺に行った際のこと。待機中にお手洗いに立った息子が、来て、見て、あれ何? と言うので見に行くと、庭の片隅の檻の中に小動物が。覗き込むと、ばっちり、タヌキと目が合った。お寺の奥様にアレ、飼っていらっしゃるんですか? と聞いたら、とんでもない。本堂にまで入り込んで、お供物かじったり、悪さばかりするので、ワナを仕掛けたんです。とのこと。ああ、そうなんですか。と頷いたものの、あの目は確かに困って、私に助けを求めていたなあ、とご供養中もタヌキの顔が頭から離れない。かと言って、家に連れて帰る訳にもいかないだろうなあ、でもタヌキはイヌ科だから、案外うちの犬と仲良くなったりして、いやいや矢張り臭そうだ。そうだ、いっそのこと息子に檻の扉を開けさせて、逃がしちゃおうか、でもそれは余りにも場当たり的、無責任だろうなあ、云々。思い、千路に乱れて、ご供養後、奥様に再び、アレは今後どうなりましょうや、とお尋ねすると、ハクビシンやアライグマは害獣だから駆除になりますが、タヌキは市の方で保護してくれるんですよね、と言われ、何やら、やたらホッとして帰宅したのでした。

今日も今日とて、デパートへ知人の初孫のお祝いを見繕いに行ったら、ハーブ茶売り場で“ぽんぽこたぬきになりたくない貴女へ”という名前のお茶が売ってました。これだけタヌキづくと、なにやらタヌキと私の因縁浅からじ、という感じが致します。でも私、“ぽんぽこたぬきになりたくない貴女へ”を100グラム下さい、って余り言いたくないかも...。

このデパート、何がびっくりした、って、赤ちゃんのものを入れて歩くのに良いかしら、とお祝いに大き目のバッグを選び、箱に入れて出産祝いの御のしをしてください、とお願いしたら、はい、わかりました。少々お時間頂けますか、というので、結構ですよ、どれくらい? と聞いたら、4時で。と言う。これはきっと店員さんの時計が狂っているのだな、と思って、私の腕時計を見せてあげて、今2時なのよ、と教えてあげたら、今度は自分の時計を私に見せてくれて、はい、4時に、ともう一度言う。何か誤解が生じているに違いない、と考え、このバッグを、箱に入れて、包装して、お祝いののしをかけて、紙袋にいれるだけでよいのですが、それに2時間かかるんですか? と聞いたら、はい、人手が足りないもので、とのこと。

人手も何も、周りはガラン、としていて見渡す限り、店員さんしか見えないのだけど、と思いながらも、私、2時間も待てません。そんなに待てるわけないでしょう? と言ったら、とても困った顔をして、無理ですか?では、まあ3時でしたら何とか、だって。先に支払いをしてしまっていたので、キャンセルも更に面倒くさそうなので、とにかく30分でやって下さい、と言い置いて30分後に行くと、何やら包装紙と格闘中。7分待って漸く出来上がって来た箱は角がずるずるで几帳面な私としては血管がぴくぴくするような出来でした。でも一応にっこりありがとう、と言って受け取ったら、一緒に居た大学時代の友人が、里紗も昔と比べると人間が丸くなったねー、とやたら感心してくれたのでした。でもその後が悪いわよ。“やっぱり旦那がよかったのね”って一体、どーゆーこと!? 何だか釈然としませーん!!

●妻より(平成21年12月)

年末年始は猫の手も借りたい程の忙しさ。今年は主人も野党になり、少しはおヒマになるのかな、と思いきやさにあらず。何やら過密日程に拍車がかかり、主人忙しい→私に仕事が回ってくる→家の中の事、外の事で目が回る→処理すべき情報が多すぎてパンクする→物忘れがひどくなる→全てが停滞する、という負のスパイラルにはまりこんでいます。Oh No!

待ったなしの仕事を更に増やしてくれているのがワンちゃん。本日、はじめてご紹介いたしますLIEFです。1才4ヶ月のコーイケルホンディエ(Kooikerhondje)の女の子です。はじめましてー。主人が小型犬だと踏んじゃいそうで怖い、私としては大きいと居場所もないし、おサンポめちゃ大変そうで困る、子供達は短毛種及び濃い色の獣毛アレルギー、という事で、いくつかの関門をクリアしてようやくゲットした犬種で、オランダ原産のカモ猟犬です。LIEFはオランダ語で、"可愛い"とか、"愛しい"とかいう意味です。

実はもうずっと前に飼ったのですが、とにかく忙しくて、福岡のブリーダーさんの所に取りに行けない。ようやく来たと思ったら、余りにもしっちゃかめっちゃかで、どうにもならないのでスクールに入学させたら、成果が出ないうちに選挙になってしまい今度は迎えに行けず・・・で、やっとやっとこの秋帰宅しました。

さすがに長らくスクールにいただけあって、ボール遊びもできるし、輪くぐりも障害物レースも上手いし、言うことはよーく聞きます。ところが! 何と犬恐怖症で、とにかく他のワンちゃんが怖い怖い。遠くからでもよそのコを見つけると、尻尾をお腹の方まで巻き込んで、ヒーヒーと泣きながら歩く姿は本当に情けなく、"尻尾を巻く"とは正にこの事か、とビジュアルに納得しています。

私にとりましては、久々に飼う犬で嬉しいのだけれども、やはり何事にも優先して面倒を見てあげなければならないので、大変。何だか、ぴょんこぴょんこしたコで、ちっとも癒されないしなぁ。そして役に立たないよなぁ。両手に重い荷物持っていてもドア開けてくれないし(当たり前か・・・)

LIEFは、先日はじめて主人の父に会いました。ウチで息子と遊んでいるのを見た父は "どこのイヌ?" "いや、もちろんウチのです" "ヘー、何だか、ちんけでビンボーくさい犬だねぇ" だって!! 言うか、普通?

そう言えばお嫁に来た時、主人の実家にはデカいシェパードがいて、その名も、"RICHARD"。何だかロボットみたいな感情希薄な犬だったなぁ。で、ある日父に "リックと遊んでいたら云々" という話をしたところ "リックって誰だ?" と言うので "あっ、リチャードです" と言ったら "だから、リチャードって誰?" と言われ "お父さまの犬でしょ" と答えたところ "えー、そんな名前だっけか?" とびっくりされて驚いたことがあったっけ。ま、要するに犬には余り興味がない、と。

そういうことでLIEFのご挨拶状で今年は締めさせて頂きます。本年も大変お世話になりましてありがとうございました。来年もどうぞどうぞ宜しくお願い申し上げます!!

皆様、良いお年をお迎え下さいませ。

●妻より(平成21年11月)

行ってきまーす、という主人を今朝見たら、モーニングを着込んでいるので、どこいくの?と聞いたら、歌会始、とのこと。つい本気にして、えっ、何詠むの、と心配したら、んな訳ないでしょう、だって。そりゃそうだ。そもそも時期が違うものね。で、どこに行ったかというと、天皇陛下ご即位20年宮中茶会、ですって。今晩のお土産話が楽しみです。

でも、もう20年なのかあ、としみじみ。

実は私たちが結婚したのは昭和63年9月で、当時主人は日本テレビの政治部記者でした。有給もたくさん貯まっているし、なにせ私も当時は高給取りだったものですから、新婚旅行は豪華イタリア旅行!と勇んで出かけたは良いものの、ベニスのホテルに着いた途端に主人の会社から緊急呼出しがかかり、昭和天皇が倒れられたから、即、帰国せよ、とのこと。とるものもとりあえず、ジュネーブ経由で無理やり帰って、成田から皇居の報道特設テントへ向かった主人は、そのまま陛下の病状の膠着とともに3か月間、テントの住人となり、私は結婚相手の顔を忘れそうになったものでした。

おお、そう言えば、あの時、落ち着いたら必ずまたイタリアへ連れて行ってあげる、と言われたのをたった今思い出した。お約束を果たして貰わねば。いやー、いいこと思い出したなぁ。

その後、今の天皇陛下がご即位され、小渕首相がうれしそうに“平成”という年号を発表したのが、ついこの間のような気がするのだけど、そうか、そうか、20年か。そりゃそうだわね、娘が19歳なんだから。若人よ、心せよ。歳月の経つのは速いぞよ。

何だかババクサイ気分になってきちゃったので話題を変えよう。

先日、このHPの熱心な読者だとおっしゃって下さる奇特な方から、毎日アップしている動画は誰が撮っているのですか、と聞かれ、大体は主人ですよ、と言ったら信じて貰えなかった。なので、(この接続詞は10歳の息子が乱用するので、注意をしたのだけれども、案外使いやすい)10月22日の園遊会で主人が撮影中のショットを載せます。私は、本当は着物が望ましいのでしょうが、髪の毛を更にバッサリしてしまったので、スーツで行きました。雨模様だったのだけれども、陛下がおでましになられた途端に、ぱあっと薄日が差し、何だか、日本国安泰!と嬉しくなりました。皇后陛下の微笑み、と言ったら、正に慈母そのもので、感動している自分の気持ち、これが敬虔の念か、と新たな発見をした気分。

ご即位20年おめでとうございます。陛下、皇后陛下のますますのご健勝を一国民として心から祈念致しております。

何だか今日はこのモードから抜け出せないみたい...。

●妻より(平成21年9月)

宣伝カーの前で

宣伝カーの前で

やれ解散だ、いつ選挙だ、と昨年からずーっと心落ち着かない日々を過ごし、ようやく迎えた総選挙の夏。大変でした、ほんっとに大変でした。主人はおかげ様で温かい支援者のみなさま方に支えていただいて、暴風雨の中、立っていられましたが、嵐が終わって見回すと、自民党ワールドは一面の焼け野原、という感じ。総選挙、終わって見渡しゃススキ野だ、です。世論調査の結果通り、だったわけですが、それでも現実のものとなってみれば、呆然、ですね。

小泉郵政選挙の時にも思いましたが、小選挙区制度ってオセロゲームみたいで恐ろしい。一気に局面の色が変わってしまうのですから。大体、考えてみりゃ、東京ドーム3杯分の票を集めなければ当選できない、というのも無茶な話だと思いませんか? ヴィジュアル的にも気が遠くなります。まあしかし千里の道も一票から。今回の選挙、支援者の方々は、お友達やらお知り合いへのお声掛けを徹底的にして下さいました。みなさま、ご近所でたまに見かける人に、気後れしたけどお願いしてみたら、意外に反応良くて、そのあと仲良くなれた、とか、同級生に10年ぶりに電話をしたら盛り上がって、ランチすることになったわ、とか。一方では、自民党だらしない、と叱られて、なぜ私が謝らなきゃいけないの?と思いつつも、謝っておいたからね、という話も。みなさまの様々な体験を毎日伺って、有り難い気持ちでいっぱいの日々でした。暑い中、ご自宅に友人たちを招いて演説会を開いて下さったり、電話かけ、証紙貼り、受付などなど、色々な形でお手伝いに来て下さったり。

私はいつも自問します。反対の立場だったとして、私は他人の為にここまでしてあげられますか?と。きっと気持ちはあっても、実行できないと思う。そして、ただ思う事と、実行することとの隔たりは天と地程の差があります。そう考えると、みなさま、私ができないことを易々とやって下さっている訳で、本当に頭が下がります。主人は何て素晴らしい方々とのご縁に恵まれていることか。そして更に、駅頭や商店街などで演説している主人の話を聞いて下さる方、選挙カーに手を振ってくださる方、笑顔を向けて下さる方、お叱りを下さる方。様々な方々が関わって下さった結果の貴重な議席ですから、主人も心して、今後もしっかりと働かせて頂きたい、と申してます。

ここで、本来ならば、どうしても申し上げたい言葉があるんです! でもそれを書くと、選挙違反なのですって!誰がそんな法律を作ったのか知りたいんですけど。選挙が終わった後の政治家とその家族が、みなさまに申し上げたいことなんてひとつしかないでしょ。

みなさーん、本当にむむむむーむむむました!! これからもどうぞよろしくお願い申し上げます!

●妻より(平成21年6月)

本ページを愛読下さっている、という方から、“例のアレ、もうやめちゃったんですか?”と尋ねられてしまい、慌てて更新。一応やめてはいないです。言い訳を言わせていただくと、パソコンが壊れてました。ある日、keiko@というメールが来たので、どのけいこかなー、となんの気なしに開いたら、その瞬間から、ちゃかちゃかと明滅する画面になってしまい、閉じることもできず、電源引っこ抜いて、業者さんに修理を依頼。そしてウィルスバスターを入れてもらいましたが、今度はそのバスターが重すぎて、起動するのに20分もかかる、昔々のテレビみたい(私が小さい頃は確かテレビってスイッチを押してからしばらくしないと画面が出てこなかった)になってしまい、何とかしてくれー、と言ったら、パソコンの容量が低すぎてどうもなりまへーん、との事で、思い切って買い替えました。でも、3日間くらい悩んで、よーし、へそくり出すか!と張り切った割には、拍子ぬけするくらい安かった。7年前の四分の一位。こーんな賢いモノ、こーんな値段で売って誰か儲かるのかなあ?

日本の家電って不思議だわ。発売してしばらく経つと、どんどこ値段が下がっていくのはナゼ? 在庫がなくなるまで次の商品売り出さなければよいのに。それに、デパートと量販店、通販、ネットで同じ品物がどうしてこんなに価格差があるのか? そりゃ、人件費、土地代その他の経費が上乗せされるからでしょう、という理屈は分るけれども、それにしてもねえ。先日、お年寄り向けの高級通販雑誌を見ていて、とても惹かれる除湿機があり、昨年までのは壊れちゃったし、買わなきゃだけど、高いなー、等と思いつつ、ネットで探したら、半額以下でゲットできました。ラッキー!だけどやはり解せないんだよなー。まあ、安く買って文句いう筋合いもありませんが。

解せないついでにもうひとつわからないのが、あの除湿機。一体全体あれは何故すぐにいっぱい水が取れるのか? 本当に空中にあんなに湿気ってあるものなの? だとすると、取らないとどうなるの? 日本中カビだらけ、水浸しにならないのが不思議だわー。それにあの水。あれはキレイなのか汚いのか。空気中から取れた水分ならば理屈から言ってきれいなはず、でもならば飲めるか、というと絶対にお腹こわす気がする。世界中に水不足の場所はいくらでもあるのだから、この水の利用法を考えるというのも一手なのでは?

どうせなら、今回は、疑問シリーズということで。主人といつも話しているのが、ホコリと家グモはどこから来るのか、ということ。え? 下らなさすぎる? もうちょっと高尚なこと話すべきかしらん?

でも、真面目な話。掃除しても掃除しても、次の日にはふよふよとフローリングの床の上を漂うホコリは一体いつ、どのようにして生成されるのか? 寝ないで監視していたら無数の微ホコリがフワーと寄って集合体になり、かくして部屋の片隅で塊となっていくのがビジュアルに見えるのか? いつかうんと暇な時に観察してみようっと。それから、家グモ。朝の蜘蛛は天の使い、夜の蜘蛛は悪魔の使い、とも言うし、私の大大大嫌いな蚊の奴と違って悪さもしないのでいつも黙認しているのだけど、あれもどこから入って来るのかしら? ゴキブリの侵入経路って見当がつくし、逃走先も大体分かるのだけど、この家グモは皆目分らない。外にいる奴らとは明らかに種類も違う。巣を作るでもなし、何か食べているようにも見えないけど、かといって死骸も見たことないし。これも今度うんと暇な時、調べてみようっと。

いや、本当に。暇があったら調べたいこと、読みたいもの、行きたいところ、無数にあるのだけれども、どうにも毎日忙しくて。昨年秋からずーっと選挙モードだし。現実、今、東京都議会選挙目前だし。ま、でも、暇を持て余すよりもいいか。最近、主婦専門のナンパ師が流行っているというか、多数出没しているらしく、友人たちが軒並み、渋谷のビデオ屋で声掛けられた、とか青山の本屋でしつこくされた、とか言っているのだけれども、私はそんな経験皆無だものなー。でもそう言ったら、友人たちに、あまり怖い顔して歩いていると、気持ちを穏やかにする印鑑買いませんか、って言われるよ、だって。現に私の友人は、選挙の事を考えながら、カッカカッカと街を歩いていたら、変なおばさんに、“あのー、お顔がー...”と声をかけられ、思わず、“見ず知らずのあなたに顔をどうこう言われる筋合いは無いっ!”と怒鳴ってしまった、と言ってました。

まあねえ。この状況じゃ表情も険しくなるわさ...。

●妻より(平成21年3月)

お雛様、二年ぶりのお目見えです。

お雛様、二年ぶりのお目見えです。

どうやらウォーキングを礼賛しすぎたようです。あちらを立てれば、こちら立たず、で、我が足を誉めすぎたら、愛車がすっかりヘソを曲げてしまいました。

先日、息子の剣道のお稽古に車で出かけ、早く帰ってご飯食べようねー、などと言いながら、駒沢通り、鎗ヶ崎交差点の3車線の右折車線で信号待ちをし、青になったので発進、と思ったら、エンジンが反応してくれない。えっ、これはどういう事態? ためしにキーを抜いて、もう一度かけなおしてみても、無反応。 きゃー!! 一体何が起こったの? どうしたらよいの? 後ろからは容赦ないクラクションの音が鳴り響く。何回トライしてもダメなので、ハザードを出して、とりあえず、あの三角の赤いヤツを出しましょう、とトランクを開けるも、見当たらない。いつも見ている筈なのに、何故無いのっ?! この時点でピーピーパーパーやられて頭パニック。謝ってるでしょうが、困窮察してよ、そんな狭量だと嫌われるわよ、と心の中で八つ当たりしながら、座席に戻り、主人に電話する。出ない。

当然だわな、講演中だもんな。そうだ!主人に同行している事務所の運転手さんが待機中で手が空いているんだ。プロだもの、適切なアドバイスがもらえるハズ。と携帯するも、空しく鳴り響くコール音。 ...そうだった。必要な時に必ずと言ってよいほど捉まらない人なんだったっけ。

引き起こしている交通渋滞は目も当てられない惨状の中、車のディーラーの担当さんの携帯に祈る思いでかけると、日曜日でお休みなのに、ワンコールで出てくれて、「ご無沙汰してますー!どうされましたかー?」 とさわやかな声。こうこうこうで、と訴えると、「旧山手通り沿いに100M行くと、交番がありますから、お巡さんに手伝ってもらうようにお願いしてともかく車をどかしましょう。その間ぼくはレッカー車を手配しますから」という的確な指示。おお。そうか、こういうときは交番なのか。と息子とバッグを車から出し、そちらに向かおうとすると、道を歩いていたオジサンに、「おい、そこの女!そこは車停めちゃいけねーぞ!!」と怒鳴られる。 分かってらい。どこの世の中にこんな場所に車おいてショッピングに出かける馬鹿がいるよ? とこれまた息子の手前心の中で悪態をつき、ともかく交番へ。お巡さんは、なになに、どれどれ、あーあ、等と言いながら、一緒に来て下さる。警告灯は?というので、あの三角のですか、いやー見当たらないんですよ、といいながらトランクを開けて見せると、ここにありますね、だって。なーんと開けた裏側に張り付いていたわ。中を探しても無いはずだー。

それを設置し、パトカーの応援を呼んでくださったお巡さんはおもむろに交通整理を始めてくれ、しばらくして到着したパトカーの二人の警官が車を押してくれ、渋滞は無事解消。すると、ディーラーさんから電話があり、「レッカー車は今近くです、本当にご迷惑かけ、すみませんでした」との事。ご迷惑も何も、買ったばっかりならいざ知らず、9年半乗っている車の故障の責任がそちらにあるとも思えず、そのものの仰りように感心する。この方とのお付き合いは長いのだけれども、最近では日本一のセールスマンとして日経新聞に載っていたりして、むべなるかなあ。と思う。この次もこの方から買いたい、って思うものね。

しかし車も10年乗るとガタがくるのかな。ここの所、修理費がかさみ、考えちゃうな。

胴着の上にコートを羽織らないで出かけてきた、抜けてる息子にベンチコートを貸した私は、寒空の下、しっかり風邪をひき、その晩から一週間寝込んだのでした。ちゃんちゃん。

後日、交番にお菓子折りを持ってお礼に伺ったら、この前とは違うお巡さんがいたので、お言付けしたら、いつ、どこで、どんな警官でしたか?と言う。「メガネをかけた恰幅の良い方でした。」と言ったら、「ああ!あの、デブのね!」と言うので、「いや。ですから。カップクの良い...」と言うのに、ノートにしっかり、「鎗ヶ崎交差点、エンジントラブル、太った人、石原さん、菓子」と書き付けていた。

私、そんなこと言ってないってばー。

●妻より(平成21年1月)

初詣旅行会にて

初詣旅行会にて

早、年も明け、15日も経ってしまいました。乾燥した毎日ですが、如何お過ごしですか?わたしは暮れに息子にうつされた咳風邪がまだ抜けず、マスクを離せない状態です。でも実はマスクって温かい。最近メガネの曇り99パーセントカット、なんてのもあり、おお、マスクにサングラスをすれば、メイク不要ではないか。便利便利。この間ハンズへ行ったら、可愛い柄のマスクがたくさん売っていて、思わず手を伸ばしかけたものの、何となく、そこまで堕落してはいけないような気がして、やめました。欲しかったな・・・・。

ウォーキングに精を出しているお話は前回させていただきましたが、これが思わぬ副産物多しで喜んでいます。 まず。体重が減った。もう絞れないだろう、と思っていた所からさらに3キロ。しかも下半身中心。ふとももが細くなったよん。あと、外反母趾気味だった足の指が明らかにまっすぐになってきました。歩きやすい靴=足に優しい靴なんですね。(ダサめなのが玉に瑕)そして、歩く事により股関節が緩んだせいでしょう。と整体の先生が仰るのだけれども、4年前にスキーで転んで痛めた右膝の靭帯の痛みが無くなり、ついでに腰痛もかなり緩和。良い事ずくめでしょ。

でもライフスタイルはかなり簡素化しました。だって歩くのって時間がかかるから、その分どこからか捻出しないと仕事が山積みになるばかり。そこで大幅な時間カットを敢行。まず、15年間位伸ばしていた髪の毛をばっさり。本当はベリーショートにしたかったのだけれども、美容師さんに余り流行っていないからやめたらー、と言われ、ショートボブに。いやー、すっきり〜。得意満面に主人に見せたら、何だかこけしみたいだね。とのコメントでがっくり。これでキモノ着て座ってりゃ座敷わらし、ってか? 息子が喜んで水木しげる妖怪解説集、というのを持ってきて見せてくれたけど確かに相似形かもしれない・・・・。 いやしかし何であろうとも、ドライヤーやシャンプーの手間が四分の一位になったのはラク。時間の大幅節約。

50〜60センチあった髪にハサミを入れた瞬間、あっ、首の負担が減った、と実感。ゴミ箱に移動して行く私の髪の量は見事で、思わず、カツラ屋さんに売れないのかしら、と言ったら、美容師さんも、うーむ、男性用カツラなら4.5人分は取れそうですね、と笑っていました。O・ヘンリーの「賢者の贈り物」、の時代なら間違いなくお小遣い稼ぎになったな。(あの、クリスマスプレゼントに貧しい夫婦がそれぞれ懐中時計、髪の毛を売って相手にプレゼントを誂える、という小説です。好きなの

考えて見れば、昔の十二単のお姫様たちはさぞかし肩こりに悩まされたことであろうなぁ。・・・と思ったのも、息子がこの冬、学校の課題で熱心に百人一首に取り組んでおり、お正月早々さんざっぱら札を読まされたからなのですが。 百人一首は日本の芸術、と思うものの、意味を尋ねられるのには閉口。思い起こせば大学生の頃、アルバイトで塾の古文の講師をやっていたくらいなので、(本当は英語を教えるはずだったのが手違いで) 決して苦手分野というほどではないものの、あの男女の機微を小学3年生に教えろというのには無理があり、超難しい。まあもっとも、「有明のつれなく見えし別れより暁ばかり憂きものはなし」なんてのに、ふんふん、なんて理解示されても怖いけどな。

とりあえず本日の駄首。
 ぬばたまの黒髪切りて身も軽く
      さらにあゆまん遥かな路を

●妻より(平成20年11月) 

はらまきと万歩計 CUTE

はらまきと万歩計 CUTE

いよいよ選挙でっす!!という切羽詰った文章を書き、いつ”妻の目”にアップすべきかしらん、と様子を窺っているうちにあれよあれよ、と状況が流動的になって来て、先送りに継ぐ先送り。年内はないでしょう、年始めも多分ないでしょう、ひょっとすると任期満了...? という心落ち着かない宙ぶらりんな今現在。選挙をやりたい!という事ではもちろんありません。そんなオソロシイ事は申しません。しかし! 後援会の皆さまのお夕飯時にわざわざお呼び出しをかけ、“緊急幹部会”までやってしまった私たちって、なんてお騒がせなんでしょうか。秘書が、オオカミ少年になった気分です、と訴えて来ましたが、本当、そんな感じ。事務局長に至ってはより深刻で、借りてしまったスペースのお家賃どないしよう、と真っ青です。もちろん早々に解約しましたが、それにしてもねー。でも、この事を地方の代議士の奥様に言ったら、なに言ってんの、ウチなんてプレハブいくつ建てたと思ってんのよー、今更壊すわけにもいかず、野ざらしよー、と泣いてました。あっても辛い、無くても辛い選挙かな、という感じです。

しかし確かに世界的に不況風が吹き荒れている状況ですし、原油高は落ち着いたものの、物価はじわじわと上昇。GDPもマイナス4パーセントとか言ってるし、選挙やってる場合じゃないですね。早く世相が落ち着くと良いのだけれども。コトは日本に限っていないのでややこしいわな。

あるのかないのかわからない選挙に翻弄され、予定も真っ白な今日この頃、私は東洋医学系の本をかなりの数、乱読しました。いろいろな先生方がいろいろな事を仰っておられ、最初は戸惑いましたが、数をこなすうちに、いくつかのポイントに集約されることを発見。すなわち。

その一 身体、特におなかを絶対に冷やさない。
その二 老いは下半身の衰えから。腕を振って歩くべし。
その三 食事の内容に気を遣う。過食は大敵。
その四 よく噛む。(30回から50回)
その五 物事に感謝して心の安寧を計る。

これらは共通項の様です。全て簡単そうにみえるけれども実は案外そうでもない。我が家なんて、私の特技が早食い、息子の特技は丸呑み、なので、今更よく噛む、なんてのはとても大変。でも、唾液が如何に大切か、を読んで、これは実行せにゃ、と“かみましょう”カードを作成し、テーブルの上に置き、もちゃもちゃと噛んでます。すると、途中でいい加減おなかが一杯になり、ダイエットにもオススメ。

歩くのは、かねてより主人に薦められていたこともあり、雨の日以外毎日実践。一日1万歩を目指すも、なかなかきつい。昨日なんて浜田山の家から千歳烏山まで歩いちゃったもんね。でも、9000歩しかなかった。これも万歩計を購入すると大変励みになってGOOD。今日は善福寺川緑地公園を歩いたし、吉祥寺にも行ったので9947歩。あと53歩は寝る前にモモ上げ体操して稼ごうっと。ちなみに吉祥寺にははらまきを購入しに行ってきました。最近はやりなのかしら?

可愛いはらまきが沢山売っていて、ついつい手が出てしまいます。余りに可愛いので主人に自慢したら、僕も欲しい、とのことなので、探したら、ラクダ色のファスナーポケット付きのがあって嬉しくなってしまいました。これにヘソクリいれるのかな? でもさすがに渋すぎるなあ、とシルク混、とかいうのにしましたが。はらまきをして寝ると、身体があったまって、より熟睡できますこと請け合い。

でも、今朝ほど、晴天に気をよくしてお散歩行こう!と張り切った自分を鏡で見て、ちょっと笑ってしまいました。最初の頃は気取ってショルダーにかける小ぶりのバッグなど持っていたのが、だんだんと斜め掛けになり、リュックサックになり、それも面倒になってウェストポーチをクローゼットから探し出し、装着。運動靴を履き、お耳も寒いわ、と帽子を被り、万歩計を下げた私はまごうことなきおばさん道をまっすぐに邁進中なのでありました。

●妻より(平成20年9月)


無事済みました。総裁選挙。フタを開けてみりゃ麻生先生圧勝で、結果は最初からわかっていたじゃないの、というご批判はごもっとも。でもそれでも敢えて論戦を張って合計12000キロ、日本中を行脚して歩いたことは意味あることだったと思います。主人も、私も一族郎党が東京神奈川にしか居らず、本当の意味で地方の現状というものを目の当たりにしたことがなかったので、構造改革の作り出した溝や、過疎を自分の目で見、耳でお訴えをお聞きして、大変危機感を強めたそうです。麻生先生は福田内閣で幹事長に就任される前、十ヶ月間ずっと日本全国を歩いていらして、地方の痛みを大変よく理解されているそうです。様々な案件が山積し、待ったなしのこの日本。ローゼン閣下が、アニメの主人公のように快刀乱麻を断ち、ばっさばっさと悪いところを切り落としていってくれるのを一国民として期待するところです。

昨日は秋分の日。主人も久々に午後オフでしたので、裕次郎叔父のお墓参りに家族で行って参りました。主人曰く、今回の総裁選挙の最終日、横浜駅頭演説の時にも、主人の時だけザーザーと雨が降り、主人は、あ、雨男だった叔父貴が来た!と勇気付けられたとの事。力がはいっちゃってさー、と喜んでました。もっとも麻生先生には、“日頃の行いが悪いんじゃねーかい?”と言われたそうですが。

そういう訳でお礼とご報告のお墓参り。そうしましたら、未だにファンの方が沢山集っていて下さいました。もう亡くなって22年にもなろうというのに、有り難い事です。実は私は叔父が亡くなってから主人と知り合いましたので、会ったことがありません。帰国子女だしテレビも殆ど見ないし、挙句の果て母親が映画は洋画オンリー!と決めている人なので“石原裕次郎”さんに興味を持った事がなかったのですが、いまだに周りで熱く語られる叔父の話を聞いておりますと、人に心底惚れられる男だったのだな、としみじみ思い、お会いしてみたかったな、と残念に感じます。

以前、主人の父に、裕次郎叔父様はどんな方でした?と聞いたら、あいつの足は俺と同じ長さだったが、俺はO脚で曲がった分、損した!歌はあいつより俺の方が実は上手いんだ、と申してました。ホントかな?

●妻より(平成20年9月)

今朝、出発前

今朝、出発前

総裁選挙!とんでもない事です!自分の亭主が直接この様に関与することになろうとは思いもせず。そもそも福田総理の辞任表明が晴天の霹靂でした。何度か講演などを伺った際に、“私は忍耐強いんです。”と仰っておられたので、まさかこの様な決意をなさるとは。

内容のわからない会見がある、と聞いたときにも、ひょっとしてお隣の怖い国から何かが飛んでくる、みたいな話?と、ドキドキはしましたが、辞任とは思いもしませんでした。

主人は、また政局だー、と叫んでいました。そして、ここの所、政局ばかりだよな、これじゃ国民に対して申し訳ないし、失礼だ、何とかしなければ!と、怒り、焦りもあらわにあたふたとお仲間の所へ飛んでいってしまいました。結局他の議員の先生方と共同で、総裁選挙を開かれた形で正々堂々と執り行うべきだ、という意見書を提出したそうです。そこから先、議論、討論を交えた末、先生方がお前が代表でやってみろ、と推して下さったのでしょう。では推薦人20人の名簿を、ということになりましたが、これがすごく大変だったようです。先輩にも、人が良すぎる!としかられたりしながら、ようやくお約束を確保するまでは、さすがにひきつってました。良い勉強になった!とため息をついていました。

しかし、考えて見ますとこの20名のご推薦、というのはとてもとても重くて、尊いものです。この状況の中、敢えて石原にお力を貸してくださることの勇敢さを思いますと、有り難くて、そして申し訳なくて頭が下がります。

世間さまには、茶番だ、出来レースだ、売名だという批判もあるように見受けられますが、そのような浮ついたことに加担するような議員は居ないと思います。一人一人が厳しい選挙を勝ち抜いて来られた貴重なお名前。それを貸すのですから大変なことです。みなそれぞれ真剣で、自分とその同志こそが日本の為、国民の為お役に立てるのだ、という高い志を持って居られます。なんだかどこかの政治結社のアジビラのようになってしまいました。

じゃあ、オタクのダンナはどういうつもりなの?と聞かれそうですが、書き始めると終わらない位あるので、一言だけ。

主人は自分を大切にするのと同じように日本を大切に考えています。主人も、主人の父や弟たちもですが、石原家の健康に対する気の遣い方は相当なもの。何をするにもまず健康が基本、ということで、普段の食事や、運動、時間の使い方などにとても気を配っています。昨日の食事がカロリーが多ければ、朝の体操を長めにする、お米を控えめにする。また、どこかが調子が悪ければ、そこを暖める、冷やす、ストレッチを念入りに行う、専門家に相談する、などすぐに手当てに励みます。

今、日本も日本人も余り調子が宜しくない、ですからその一つ一つの原因を分析し、なにがどう痛いのか、悪いのかを探り当て、それぞれの不具合に見合った手当てをし、体質改善も同時に行い、元気な、若々しい日本を取り戻したい、と考えているのだと思います。手法としては、一気に筋肉増強ステロイドをバーン、と注射するのもあることはありますが、あとあとの副作用を考えると、やらない方が良いな、ということなのでしょう。

なにはともあれ。何だか政治がちゃんと機能してない気がする、何だか政治家ってポストとか権力とかお金ばかりが好きな気がする、と不信感を抱かれてしまっているのは、政治家の責任です。主人もきちんと反省し、お侘び申し上げた上で、今回の総裁選挙で皆さまにその信念とするところをお訴えさせて戴くのだと思います。

今から渋谷区ハチ公前で全国遊説第一声がありますので出かけてきます。

●妻より(平成20年8月)

山中湖にて

山中湖にて

大好きな夏が終わってしまう!やだー!あと一と月位、八月のままでいればいいのに!日中の暑さは相変わらずだけれども、朝晩の風は明らかに秋の気配で本当にさみしい。ちなみに私は何故こんなに夏が好きか。答えは簡単です。異様な寒がりだからです。

寒がりですが、肩こり症なので、たくさん着込んだり、首の周りにモノ巻いたりが苦手。従って、薄物だけで居られるあつーい東京の夏が居心地がとても良い。クーラーなんてほぼ不要なので、我が家は暑がりの娘がクーラーつける、私が切る、を延々と繰り返してます。当然デパートなんて寒すぎて足を踏み入れられないし、スーパーやレストランに行くには、上着と靴下必携。ご飯を食べに行くのに、華奢なサンダルを履いて行くと、テーブルの下で密かに脱いで、靴下を履いてます。楽しく会話しながらも、誰かがフォークかなんか落として下を覗かないかひやひや。

そういえば、学生の頃、どのような人と結婚したいか、という話をしていた時、回りが三高だ、四高だ、と言う中、とにかく温度感覚が合う人、そしてテレビを見ない人、と主張してました。ガンガンにクーラーつけて、テレビつけっぱなし、な相手だったら、即、バイバイですね。まあ、無論、私の感覚の方が少数派なのはわかってます。主人が同じ少数派に属しているのは僥倖です。それゆえ大事にしてます。ホントよ。

しかし。思い起こせば、若い頃、私はどーんなに暑くても汗ひとつかかず、お化粧も崩れず、何て涼しげなの! と感心されたものです。それが今では何故かだくだく汗をかく。お化粧なんて、した筈がいつの間にやら、あら、すっぴん。どうしてなのかなあ。新陳代謝がよくなった、と言えば聞こえは良いけど、そういう問題でもない気がする。ま、あまり深く追求するのはやめておこう。

とにかく、事ほど左様に好きな日本の夏ですが、問題がひとつ。それは蚊、です。皆、ゴキブリが嫌いだ、カエルがいやだ、などと言いますが、私に言わせりゃ、そんなもん、なーんも悪さをしない、可愛いもんです。ゴキブリにツノを生やせば、カブトムシにもクワガタにもなろうし、カエルだって色をつければ、アマゾンなんとかって何万円にもなるじゃないの。第一、ゴキブリもカエルもあなたを襲いません。それが、蚊と来た日にゃ。人が大好きな夏を満喫しているのに、必ず嗅ぎ付け、どこからともなく、ぷーん、と。

いいですよ、同じ地球上のお仲間だ、少しくらい血を分けてあげるのもやぶさかではございません。それがさ、あとあといついつまでも痒い、痒くて掻くと掻きつぶしになって痕になる。それっていくらなんでも恩知らずじゃありませんか。昨日なんておでこと目の横よ。それも運転中の車の中で襲うなんてルール違反だね。わざわざ路肩に寄せて目をこらし、耳をすませて、ゲットしてやったので溜飲は下がったが、痒みは残る。ああ、悔しい。真夏の夜の悪夢は、寝床に入って、さあ、寝よう、と思った時に聞こえてくるあの羽音。背筋がゾッとします。ガバ、と跳ね起きて電気をつけ、仁王立ちし各隅をにらみつけ、絶対に絶対にやっつけます。今の所勝率10割。

蝶、蝉、とんぼ、つばめなど、愛らしくて可愛いものはどんどん少なくなって来ているのに、クラゲとか、ねずみとか、カラスとか、蚊とかは増えて行って。憎まれっ子世にはばかるとはよく言ったものだわ。ま、でも、つまりは人間界でも昔から、ご同様ということか。

 

去りゆく夏よ、さようなら。置き土産の蚊と私はもうしばらく戦いを続けます。

●妻より(平成20年6月) 

“大丈夫か?わたし?”と思う頻度と真剣味が最近増してきている。

井の頭公園にて(撮影・息子)

井の頭公園にて(撮影・息子)

先日、大雨の日。友人の所へ遊びに行った息子を迎えに井の頭線で吉祥寺へ。 ちょっと時間が早いので、ぷらぷらと駅ビルのお店を冷やかしていると、大感謝祭、とか、倒産処分セール、とか書いてあるはではでしいノボリに吸い寄せられました。 おお。 靴とバッグがたーくさん並んでいる! Sサイズの靴の棚を見ると、なんとも可愛らしい水玉模様のミュールが。雨で足元が冷えるので、厚いスポーツソックスにつっかけを履いていたので面倒だったけど、お値段にひかれて試着してみることにし、靴下を脱いでトライ。でもNGでした。華奢すぎて痛い。がっかりして、ソックスを再び履き、傘を持ってエスカレーターを2階分下がり、ザーザー降りの中、外へ出ようとしてふと、左足が歩きにくいなあ、と足元を見ると・・・。キャー、なぜ私は水玉のミュールをはいているわけ?! ソーローとしながらエスカレーターを上り、それにしても、このミュール、戻すときに見咎められたら、なんと申し開きをしよう、とか、一体わたし左足のつっかけはどこに?とか考えながらくだんの棚に戻ると。私のボロイつっかけがしっかりミュールの右足の隣に並んでいる。店員さんに声をかけるべきか、どきどきしながらそーっと見回したけれども、誰もこちらを見ていないので、そそくさと履き替えて店を後にしました。

自分でも余りの間抜けぶりに、口元は笑いたいのだけど、同時に情けなくて目は潤んじゃう、みたいな複雑な気分。
 夜、主人に言ったら、“里紗ちゃん、ぼくは悲しくなっちゃった”と言うから、これはやはり憂慮すべき事態なのでしょう。

それだけならば良しとしましょう。それだけなら。ところが、実はこの手のことが日々連発!

一昨日は、どうしても次の日に履きたかった紫色のクロップドパンツが見つからない。私は整理魔なので、何かが見つけられない、という事態が許せず、見つかるまでとことん探します。ところが、クローゼットを全部ひっくり返しても、もしや紛れて、と思い、主人のクローゼットまで探しても、無い、無い。

とうとう日付が変わり、次の日は子供たちが学校で6時には起きなければならないので、不本意ながらあきらめて、ベッドに入り、目覚まし代わりに使っている古い携帯電話を取りだしセットしようと、マットの下を探りました。と、何やら指先に触る。あっと思い電灯をつけて引っ張り出してみると、そこには紫のズボンが!

そうだ、そうだった! 膝の裏の所がしわしわになったのだけど、アイロンかけるのが面倒くさかったので、寝押しをしたのだった!! それを何故思い出さないかなー? 思い出すだろ、ふつー?
他にもこの手のことが枚挙に暇なし。まあ、主人に全部言うと悲しくさせちゃうので胸に秘めておくとして。

でもね。今朝、子供たちを出したあと、新聞を読みながら朝食を食べていると、横から主人の手がニューと伸びてきて、私のブルーベリー入りヨーグルトを持って行ってしまった。“あれー!?”というと、”え、これぼくのじゃないの?”と言うので、あなたは自分の食べたでしょ、というと、食べてない、と言い張る。そこで、既に流しに下げたお皿を見せたら、それでも“おかしいな、記憶に無い・・・”とクビを傾げている。私だって悲しくなっちゃったもんねー、おたがいさまだよーだ。
最近買い換えた携帯電話についている脳トレやると、頭の年齢24歳なんだけどなあ。

頭のみならず。

主人の誕生日に事務所のスタッフたちが下さった業界最薄体重計。基礎代謝やら骨密度やらいろいろ出るのだけれども、あなたの身体年齢、という項目があり、これをやると、私はなんと19歳! 何が基準なのか全然わからないけれども、いつでも、何度やっても19歳!(最近この体重計は主人によって、ごますり3号くんという名前になりました。) 

24歳のアタマと19歳のカラダなのだから、気を確かに持って、ガンバレ、私!!

●妻より(平成20年4月)


主人の後援会にてボランティアの学生さんたちと
先日の主人の勉強会でのこと。支援者の方に、主人とのツーショット写真のシャッターを押してくださいと頼まれた秘書の子が、“あれー、ズームはどこですか?ここですか?あっ、違うな、えーと...” “ああ、そうか。ボクが近づけばいいんだっ!”
 後ろで見ていた私は、同じく呆然と見ていた事務局長と目が合い、思わず、“ よかった、よかった。気付いてくれなかったら、どーしよーかと思いました”と、安堵の笑みを交わしたのでした。

某有名小学校で、6年間オールA、神童、でならしたという彼のことですから、これは単なる凡ボケ(たった今作った造語)でしょう。このような事は私も日常茶飯事でよくやります。実際、よくやりすぎて自分でも不安になり、数年前の人間ドックではオプションで脳ドックを組み入れてもらった程です。ですからまあ、お互い様、ということで全然OK。自省が入っている分、許容範囲もかなり広いです。

その広範な許容範囲から逸脱するおバカ。それが我が家のナビゲーターのナビ子ちゃんです。とうとう先日主人まで怒らせて、いまやその命運たるや風前の灯。どんだけ〜おバカかというと、枚挙に暇がないのですが、ほんの一例。先日、春休みで激混みのデイズニーランドへ行きました。(ちなみにスプラッシュマウンテン、ビッグサンダーマウンテン共に180分待ち)帰途、助手席の友人とぺちゃくちゃ喋り、後部座席の子供たちの相手をしながら運転していた私は、珍しくナビ子に全面的にお任せで、自己判断を放棄していました。ナビ子よ、あなたを信じた私が馬鹿でした。でも、だからと言って、大師まで連れて行かなくたっていいじゃないのよ!私の家は、東京都で、杉並で、永福出口なのよっ!大師は神奈川県なの!
ご丁寧にまた700円を払ってど渋滞の羽田ルートを通って帰りつた時には、さすがの子供たちも寝静まっておりました。ガソリン代が一番高かった、あの時期。日ごろからばかばかと無視され続けたナビ子からの手痛い仕返しでした。あー、あったま来る!

あのナビ子、悪い電波でも受信しているのではないの?と憤懣やるかたない私に、まあまあ、機械相手に怒っても、と言う主人は、方向音痴の私と違って、ある地点に立った瞬間、北はどちら、と示せる野人(やじん)で、従ってナビ子は大抵しまっています。ところが先日、お彼岸のお墓参りに行きましょう、と環八を第三京浜入り口に向かった私たち。歩いている人の方がよっぽど速い環八の混みように業を煮やし、向かって左側は世田谷通り方面で渋滞しているのがわかっているので、では初挑戦で右側に逃げてみましょう、とナビ子を稼動させました。ナビ子も自信ありげに道を指し示してくれています。汚名返上なるか!?

ところが、やはりナビ子はナビ子なのでした。見事な程、混んでいる細―い道をくねくね走った挙句、ぐるーりと同じところを一周し、あれ、ここさっき通ったよね、とバス停の表示を見たら、
なんと、廻り沢通り、(めぐりさわ、って読むんですよね?)と書いてありました。さすがの主人も、おちょくってんのかー!?と、怒り爆発。ほーらねー、言ったとーりでしょー、See, I told you、見たかー。

...と勝ち誇っても空しすぎる。まあね、ちょっと前までナビなんて無かったわけですから、頼ろうと思うこちらが図々しいのかもしれない。ああ、でも、ドラえもんとまではいかずとも、もう少し使えるナビ子ちゃんが欲しい! 新しいナビちゃん用貯金でも始めるとするか。

●妻より(平成20年3月)

ものの本によると、現在日本人の4人に1人が花粉症、とのこと。主人はある日突然発症して以来、13年間これに苦しみ、薬を飲めば頭がボー、飲まなければ鼻水がたらーり、で2、3、4月の中旬頃まで、あー、辛い、うっとおしい、といいながら過ごしています。まあ、大変なことだわ、と思いつつ、私には全くの他人事で、だって血液検査でもIgE (アレルギーの有無を測る単位ですね)ゼロだもんねー、今時珍しい、アレルギーフリーの女と呼んで。と自信満々だったのですが、つい2週間ほど前の丑三つ時のこと。凄い異変を感じて眠りから覚めました。ところが。まず目が開かないっ! 焦って目をこすると目やにが! すっかり覚醒してみると、鼻もつまっている、耳も痒い、喉も痛くてがらがら、頭の中では何かの音がぴーー、とハウリングしている。やっと開いた目もえらく痒くて涙が止まらない。よろよろと洗面所に行って鏡を見ると、まぶたがぱんぱんに膨らんで白目が真っ赤。これはどうしたこっちゃ、とまんじりともせずに朝まですごし、主人にあーだこーだと訴えたところ、“ようこそ、花粉症ワールドへ!”とやけに嬉しそうに言われ、愕然。まさか、そんな、私に限って...と否定しつつも、全ての症状が当てはまる。暗澹とした思いで仕事に出かけると、秘書の子がギョッとして、“どーしたんすか!?”なにせ目は真っ赤、声はがらがら。実はこうこうなのさ、と言うと、若干30歳にして花粉症暦20年の彼女は、“いやー、そりゃ典型的ですね。毎年里紗さん、羨ましいな、と思ってたんですけどね。” 同病相哀れむ、で、うがいと鼻洗浄は生理食塩水がいいですよ、鼻から吸って口から出すんですよ、などと親切に教えてくれました。(できるかい、そんな器用なこと!)

お医者さまに行かねばならないかなあ、と気鬱になりつつ未だ信じられない思いで、回避の方法はないものかと足掻いている内に、事態はますます悪化。白目と黒目の境目が無くなり、眼球がぶよぶよ浮いてきたようになり、娘に、おたまじゃくしの卵みたいになっちゃったー、と泣いたら、それを言うならカエルの卵でしょ、と冷たく言われ、カチンと来て、何よ、昔、大きいおたまと小さいおたまが並んでいるのを見て、おたまじゃくしの親子だー♥、と言ったのは誰よ、と八つ当たり。でもその娘に、お母さん、あれ飲んでみれば? ワタシとお父さんがお正月から飲まされているヤツ、と言われ、そーだ、それがあったか、と。

あれ、とは何を隠そう、枇杷の種の粉末。

昔から私に様々なことを教えてくださる敬愛する先輩が、“伸晃くんが花粉症でムスメがほこりアレルギー? だったら是非是非飲ませなさい”と勧めて下さったモノ。成る程、これを朝晩のんでいる二人は今年まだ何の症状も出ていない。よし、私もだ!

ということで朝昼晩と大量摂取し始めました。どの道自然のものだし、害はなかろうし。すると、あらあらあら。

私は枇杷業界から一銭も頂いていないですし、宣伝をするつもりは毛頭ないのですが、結論から申しますと、今現在、花粉症ってなんでしたっけー、状態に戻りました。

たまたま私の症状が一過性のものだったのかもしれませんし、ひょっとすると花粉症に劇似の風邪だったのかもしれませんし、様々理由は考えられます。タイミングも相性もありますでしょうから、お勧めしているつもりはありませんがナビゲーター撮影風景、私個人には効いてくれたようです。そういえば、実家の母も、庭の枇杷の葉を漬けたものをボディローションとして長年、愛用しており、もしかしたらDNA的に枇杷とは相性が良かったのかも。

主人が昨晩申してましたが、ある企業の方とお話したところ、今一番良く売れるのが、自然のものを使って作ったサプリメントだとのこと。してみるとこれもきっと各個人がそれぞれに合うもの、効くものが違うのかもしれません。百花繚乱の業界から、マイベストワンを選びきることができ、健康維持に役立てることができたら、この上なくラッキーなことですよね。

ちなみに今回の写真はこのホームページのトップページから見ていただける動画を撮影中の主人と政策秘書の佐藤です。高校時代からの親友の千住博さんの展覧会“ハルカナルアオイヒカリ”を日本橋高島屋に観に参りました際のショットです。主人が毎日まじめに取り組んでいるページですので、お時間おありでしたら、是非ちょっと覗いてみてください! (PR Timeでした)

●妻より(平成20年1月)

あけましておめでとうございます!子年って心機一転、のイメージありませんか?いや別に何かを蒔き直ししなければ、と悔やんでいるほどのこともないのですが、とにかく、今年は総選挙もありそうだし、干支に準じて初心に戻ってがんばろう、と決意しているところであります。お正月には家族で早起きして初日の出も拝んじゃいましたもんね。お天気もよく、清々しい年明けでした。

初詣も近くの神社におまいりに行きましたが、お賽銭箱に行き着くまで、延々四十分くらい並びました。日本人の敬神精神は健在です。聞きましたら、どこのお宮さんもすごい人出だったそうで、そういうのって、安心しますよね。

私は普段、テレビを全くといって良い程、見ないのですが、暮れ、お正月は何となく画面をみることが多く、随分と話題にキャッチアップできたのではないか、と思います。主人が駅伝を見、息子が笑点の大喜利を見、娘がのだめカンタビレ、とかいうドラマを見ているのを横で一緒に眺めていたら、CMも含めていろいろはやりのタレントさんを認識することができました。最近は電車の吊り公告に載っている名前が全然知らない人ばかりで、ついには日本人なのか外人なのかも分からなくなるに至り、浦島太郎も極まれりかな、と考えていたところでしたので、良かったかも。息子が模倣に命をかけていた、でもそんなのかんけーねー、の本物も見ることが出来たし、なんべぇか、が南米であることも始めて分かったし(どこかの方言かと思ってました)。娘が見たがっていたドラマも、主役がタマキヒロシさんいう人でかっこいいの、きゃー、とか言っているのを聞き、なんてオジン趣味なのから、と心配してましたが、どうやら勘違い。私が思い描いていたタマキさんは玉置浩二さんだったみたい。主人に言ったら、その人は薬師丸ひろ子さんの元ご主人で、年代が全然ちがうだろう、と呆れられました。

薬師丸ひろ子さんと言えば、昨年、クリスマスの日、見に行きました、「続・三丁目の夕日」。夏以来、一度も家で夕食を食べられなかった主人が、子供たちに贖罪の意をこめて、クリスマスの日を昼からオフにしてくれ、ご飯は何が食べたい?と聞いたら、姉弟、声をそろえておすしー、とのことで新宿に食べに行き、さあ、お腹もくちくなったから、ショッピングでもするー?と伊勢丹を覗いたところ、クリスマス商戦の余りの熱気に恐れをなし、足を踏み入れることも出来ず、ではどうする?と思案投げ首してましたところ、そういえば、知り合いから頂戴した映画の鑑賞券、たしか、是非ご家族で、といわれていたのだわ、と思いつき、バッグの底から見つけ出しました。娘に携帯で調べてもらったところ、歌舞伎町なんちゃら、というところでちょうど始まる、とのことであわてて駆け込みました。私は主人と映画を見るのは、マトリックス以来八年ぶり、息子に到っては、生まれて初めて。ということは、家族で映画を見るのが初めて!

小2の息子が飽きちゃうかな、と思いきや、彼が一番熱心に見ていて、泣いたり、笑ったりと盛り上がってました。美しい小雪さんが電車の中で恋人の書いた小説を読んで涙ぐむシーンでは一緒に鼻をすすりあげて入れ込んでおり、おい、わかっているのかい、という感じ。舞台は、私が生まれるちょいと前の時代なのですが、わずか四、五十年で世の中って変わるものなのですね。感慨深いです。帰りに歌舞伎町のハーゲンダッツでアイスクリームのクリスマスケーキを買い、これはとてもおいしかった。

クリスマスから新年への移行はわずか何日かなのに、何ですか、すごく前のお話をしている気がしますね。

とにかく、今年は選挙の年。日々続けている仕事に対して、有権者の皆さまが審判を下すということですから、慌てて何かをする、ということでもないのですが、やはり当落が明確に出るものですから、考えると本当に胃は痛くなるわ、食欲はなくなるわ。お陰で体重維持がラクにできます。主人の母からもどうしましょう、どうするの、とメールが来るので、とにかく、仕事を一つずつ、丁寧に、誠意を込めてやり遂げていくしかありませんでしょう、と返信しました。すると翌日、“そうですね、私も陰で祈ってます。今日は産土神さまと下のお稲荷さんと隣の神社と鎌倉八幡宮へお参りしてお願いしてきました”と返事が来ました。親は有り難いものです。

本年も主人共々頑張りますので、どうぞ宜しくお願いいたします。皆さまがご家族様と共に、ご健勝に、ご多幸に過ごされますことを心からお祈りしております。

●妻より(平成19年9月)

お久しぶりでございます。

九月末で残暑なのって、矢張り一人一人が温暖化について真剣に考え、実行していかなければいけないんだと思うな。これは絶対に警告だと思う。

年明け早々、実に様々なことがあり、ちょっとこの“妻の目”についても掲載した着物の写真が派手、なんてお叱りをうけたりして凹んだりしていたものですから、こーんなに間があいちゃいました。まあ、いろいろなご意見はあって然るべきですものね。でもそれ以上の方々から、最近更新してないじゃないのよ、また書いてよ、と仰言って頂き、意を強くしてまたパソコンに向かっている次第です。

春から都知事選挙、統一地方選挙、参議院選挙、と駆けずり回っていたら、いつの間にやら夏も終わり、総理大臣も内閣もかわっておりまして、過ぎ行く日にちの速さに呆然。

この度、主人も無役になりました。この七年の間、ずっと要職を拝命しており、地元杉並区の行事にもなかなか顔を出せないでいたのですが、漸く時間が取れるので、ご無沙汰している皆さまと語り合い、ご意見やら、ご指導やらお叱りやらをゆっくりと承りたい、と申しております。今朝も、昔から応援くださっている方が、主人を労ってくださりつつも、でも、男の方はお役が無くなるとがっかりするでしょう?と案じて下さいましたが、全然心配ご無用です、と申し上げました。本人は、駅頭遊説もしたい、演説会もやりたい、集会は何かないのか、とあれもこれもの大はりきりです。傍で見ていると、本当に人と接するのが根っから好きなのだなあ、と感心します。誰と会っても、どんな会話をしても意義を見出せるらしく、人と会うのが大好き。

私が一番良いな、と思うのは絶対に絶対に人様の悪口を言わないこと。これは見習うべきです。何が良い、って自分の精神衛生の為に良い。人の悪口を言うと、結果的に自分がつまらなくなるだけだということを、私は主人から学びました。人のことを悪く言わない、ということは表裏がない、ということです。
そうするといきおい、もうメンドウだから人様の前で何かをつくろうのもやめよう、ということになります。これはラク。

しかし、SPさんがついているとき、この生活姿勢はいささか困りものです。いや、別に私は一向に構わないのだけれども、SPさんの方が居心地悪くてイヤだろうなあ、と。

大臣職や前回の様に党三役、などというお仕事を頂戴すると、SPさん(SECURITY POLICE)がついてくださるようになります。改めてお尋ねしたことはないので、システムはよく分からないのですが、私の知っている限りでは、通常の場合、二人の方が日替わりで担当してくださいます。これは公のお仕事の時は無論ですが、プライベートな時にも適用されるようで、家族とのお出かけにもご一緒してくださるわけです。ウチなどは子供が小さく、特に下の男の子はカッコいいお兄さんが大好きですから、すぐに寄っていってしまいます。

すると、皆さん、外見は体格良く、眼光鋭く、イカついのですが、警察官になって人を守ろう、と思うくらいの方々ですから、心はとても優しく、相手をしてくださったりもする。すると、子供はチョづく、コントロールが利かなくなり、母怒る。で、家の内も外もない我が家としては、SPさんが居ようが居まいが叱責、説教が始まるわけです。ところが、相手もさるもの。8歳位の男の子というのは、カッコつけたい盛り、生意気盛りで、人が誠意をこめてこんこんと叱っているのに、へらへら薄ら笑いを浮かべたり、返事は!?と訊くと、はいはい、とため息まじりに答えたり。最初は冷静に教育的見地に立って始めたつもりが、次第に怒りバクハツ、激してしまうわけです。で、ハッと気付くと、主人とSPさんが聞こえぬふりも出来ず、下を向いて黙っている。

ありゃー、またやっちゃった、と思うものの後の祭りですな。

絶対に報告書(そんなものがあるかどうかは知りません)に、石原伸晃 妻はヒステリーとか書いてあるんだろうなあ、と暫く落ち込みます。しかしそれでも、人前でニコニコ、帰宅した途端に子供に怒る、みたいなことはしたくないので、仕方ないですね。でも、怒りすぎで脱力している私に、“人前でみっともないからやめなさい”とは絶対に言わない主人は、やはり筋金入りの表だけ人間だな。やはり、お父様が、人前だろうがなんだろうが態度が全然変わらない人だから免疫できているのだろうな。

ちなみにこのSPさんの件ですが。主人は政調会長に最年少で就任させて頂いたそうですが、1ヶ月でお役御免になり、ついでに在任最短記録も塗り替えてしまったそうです。(笑)で、SPさんとも当然サヨナラ。もう少し長くお付き合いできたら、ヒスなだけじゃない、石原里紗の良いところもたっぷり知っていただけたのに、と残念無念でございます。

●妻より(平成18年12月)

なんでもう師走なのっ、と焦るのももはや恒例行事。年々加速度が増している気はするけどね。この一年、安倍政権の誕生やらなにやらありましたけれども、マイハイライトは何かな、と振り返ると、あるのよ、半年かけて達成したことが。
なーんと。やせました!

マル高出産の息子がこの春、小学校に上がり、ああ、きっと同級生のママたちは若くて、私はさしずめお局様状態か、と考えた時、よし、ならばせめて後姿だけでも若くしよう、と一念発起。めざせ、バックシャン、ですな。ちょうど美しく痩せ終わった大学の同級生が居たので、彼女に御指南仰いで、週2,3回のジム通い、脂肪分解マシンの駆使、代謝率を上げる運動の反復、車厳禁ひたすら歩く、そして無論お食事制限。薬の類など、体に負担かける人工的なものは一切服用せず、6ヶ月かけてゆっくりと全体重の15%落としました。ジーンズで言えば2サイズ。おなかと太ももとあたりがすっきりしました。代謝も良くなったようで、今は多少食べ過ぎても、一晩寝るとウェイトが戻るようになりました。

でも、今は向寒の時期でうっかりすると脂肪を蓄える方向に身体が働くので、お夕食のお米はほんの二口くらいにして、あとはとにかく草食動物のように野菜を一日350グラムくらい摂取してます。もともとウサギ年生まれだし、苦じゃないのが救われる。でもいい加減お野菜にも飽きて、今日も八百屋さんを徘徊し、のびる、とか、きくいも、とか初めて調理するものを買ってきました。野趣溢れ、案外美味しかったです。栄養は満点ですって。

苦労の甲斐あって(?)先日、表参道を歩いていたら後ろから、あのー、雑誌の読者モデル探してるんすけどー、と声をかけられたぞ。早速主人に言ったら、“熟女専門誌だろ”だって。もうごはんは作ってあげないことにする。

花やさんに門松の注文もしたし、いよいよ年の瀬。ガムテープで補修しつつ使っていた掃除機もようやく買い換えたし、高所用窓拭き機も通販で頼んだから、本腰入れてお掃除に取り掛かろう。理屈から言えば、ウェイトが減った分、体はらくらく動くはず....。

●妻より(平成18年9月)

今年の夏はいまいち夏らしくなかったですよね。さんざん梅雨が長引いてあげくの果てが毎日どんよりじめじめじゃ消化不良。欲求不満が残ります。そもそも私は夏生まれのせいか夏が大好き。暑いのはいくらでもOK。セミの声を聞いてうきうきしていると主人が、お前の前世はセミに違いあるまい、と申します。マジでそうかも。

すごくセミに感情移入しちゃうし、セミとり名人だし。(なんの足しにもならない)でも実はセミだけじゃなくって全般的に虫捕りは得意。爬虫類もなんでもござれなので、我が家は虫が出現すると、主人も娘も私と敵を残し、逃亡します。私は虫よりも殺虫剤の方が害があると思っているし、つぶすとあとのお掃除がマジ気持ち悪いので、すべて生け捕り。ゴキちゃん以外は外に出してやり、ご恩返しを待ちます。(ゴキだけは世間の評判悪すぎて恩赦を与えにくいのよね)。あ、でもご恩返しといえば。浦島太郎はつまるところ亀を助けなければ、あんなにショッキングなメに遭わなくてもすんだのでは。

太郎のお母さんも、優しい息子を持ったが為に、行方不明を案じつつの、淋しい老後を送ったに相違ない。それってどうよ、って気がしません? 私は小さい頃からそれが疑問だった。主人に言ったら、残念だけれど、世の中は良い人が良い思いをするわけではないんだよ、との事でした。

確かに最近も、実家の母がぼやくには、家の近くのお不動さんの縁日でのこと。前を歩いていた小学校高学年位の子が、百円玉を3枚ぽろぽろと落としたので、拾って渡してあげたそうです。そうしたらポケットの中身を確認したあげく、おばさん、あと500円玉があったはずなんだけど、と疑惑の目で見られ、なんかものすごく不愉快だったわ、ともうぷんぷん。浦島太郎も母も、見て見ないふりをしたほうがよかったのでしょうかしらねえ。

何だか世知辛いお話になってしまいました。夏の話からもそれてしまいましたね。脱線にも程がありますな。昨年の夏はまさかの総選挙で一日もお休みがなかったので、今年はいろいろ遊びにいきました。屋久島にいったのがハイライトかな。

いや、すばらしかったです。屋久島ファンの私共は今回3回目の訪問でしたが、とうとう行って来ました。縄文杉に会いに。なにせ、片道6時間の山登りというので、さすがに幼稚園生の息子には無理だろうと今まではあきらめていましたが、今年小学生になり、体力、持久力がついてきたので、敢行。樹齢8千年ともいわれている(2千年という話もあり。ま、どちらにしてもスゴイ)縄文杉サマは凄かった。朝も早よから、5時にホテルを出発し、道なき道をロープを伝わって登り、湧き水で水筒を補充して、ひーこら、ひーこら足を運んで。雨対策の為に揃えた雨具だって半端じゃないぞ、支払いが怖い、と、とにかく必死の思いで行き着いて。いや、縄文杉は偉大でした。まさに威容。

でも、でも。言わせて貰えば。駄目だよー、周りを伐採して、しかも展望台まで作っちゃ! ガイドさんは撮影のためと、根っこの保護のためでしょう、というのですが、他にやりようがあるでしょう? なーんかなー。頑張って山の頂上についたら、コーヒースタンドがあった、くらいの感じですかねえ。

まあでも、とにもかくにも、屋久島はすばらしい。日本が誇る世界遺産です。杉も山も水も苔も空気も絶品です。大切に大切に守っていかなければなりません。マイナスイオン不足になったあなた、是非いらしてみてください。ただし装備は万全に。私たちがトレッキングしていた当日も、遭難者が出て、地元のレスキュー隊の皆さんが捜索しておられました。結局、私たちのガイドさんが飼っている救助犬が、衰弱して倒れている遭難者を翌日発見、事なきを得たそうですが。甘く見ると大変だそうですよ。

●妻より(平成18年3月)

ピーカンのスキー場よりお届けいたします。昨晩子供たちを連れて到着し、ほんの一泊。主人は仕事でお留守番。たった今、スキースクールに子供二人を放り込み、るんるんのフリータイム 上の娘はともかく、下の息子はシッター代を追加しなくても良いですか?という感じですね。

チビがいたので暫くご無沙汰していましたが、2シーズン前、息子が3歳になったと同時に私もスキーヤー復帰。100センチのショートスキーを主人がクリスマスプレゼントに買ってきてくれて、これがとても良い。何せストックが要らないから、猿息子脱走時にはいつでも両手で捕まえられる。靴もラクな柔らかいものなので、すばやく追跡にかかれる。短くて軽いので、ゴンドラに乗る時も子供の分と併せて2本持てる。これはおかあさんのために開発されたものなのねっ、と上機嫌でスキー場に通いつめておりました。

ところが。前回、スケート場の様にアイシーになったバーンを滑走中、スピード狂の息子とボーダーが正面衝突しそうになったのを見て、動揺し、こちらが大転倒。一回転後、急斜面だったものだから、止まらず、スキーの後方が雪に刺さったままおまけのもう一回転。右内膝靭帯損傷。全治2−3週間ですって。情けなや。ちなみに必死に起き上がってみると、息子は、はるーか下で手を振っておりました。いやー、別にあんたのせいでは全くないけどさ....

主人には、5メートルも後ろを滑っていて、一体ナニしようと焦ったわけ?と馬鹿にされるし、とにかく痛いし、かがめないし、ハイヒールはけないし、もうサイアク。身体のどこかが痛いって辛いのね (;;)。先日“廃用身”という本を読みました。この小説は老人医療の現場にいたドクターの遺稿をもとに書かれたとの設定のフィクションで、麻痺して、リハビリしても回復不可能な四肢は切断してしまえば本人も介護側もラクになる、という内容でした。何とも衝撃的、猟奇的で考えさせられたけれども、今回、膝が痛くて、さらに深く考えたな。ありきたりなことを言って恐縮ですが、健康は人生最大のギフトですね。ありがたや、ありがたや。

で、とにかく一週間はおとなしくしていなさい、と言われて、仕事も約束もあらかたキャンセルして家に居たのですが、これがマズイ。何がまずいって、家に居るとついつい間食してしまう。時期が時期なので、確定申告のための事務作業をしているでしょ、一息つくと、ついふらふらとキッチンへ行って紅茶かなんか入れるでしょ、葉っぱを煮出している間、つい冷蔵庫を開ける、つい○チダノンかなんかが目に入り、手を出してしまう。これを三週間もやったら、気合入れて今春用に投入したスカートが無様なことになるのは火を見るより明らか。オバサンになると手足が細くとも、真ん中辺りがデブ、というリンゴ型肥満に要注意。実家の母が、一見細く見えるけれども、のぶてるさんとウェスト一緒だわ、なんて言っているから遺伝的にもますます要注意。人間ドックの結果が “羸痩” だ、なんて言ったってローライズジーンズの上に脂肪が乗ってちゃ話になんねー。ま、これに関する長―い、涙ぐましいお話は次回。

そろそろ子供たちを迎えに言ってお昼ご飯を食べさせないと。

されば、また、近々。(書いているときはテンション高くて、よし、10日後くらいに必ず更新しよう!とか殊勝に決意してるんです....ホントよ。)

●妻より(平成17年12月)

何とも深々と冷える毎日。でもやっぱり冬はこれでなきゃ不気味。寒いの大いに歓迎。

昨年はこの時期、年賀状の住所録が消えたと大騒ぎしていましたが、今年はプリンターがアウト。指定してもいないピンクやら水色やらが中途半端に出現し、使い物にならない。

9時から受付のE×S×Nのヘルプセンターに8:55分から電話鳴らしてやっとこさお姉さんを捕まえて(チケット入手並みの手間暇)尋ねたら、部品交換の必要あり、こちらに送ってくださいとあっさり。でも、ぴったりの箱もないし、第一それじゃ賀状に間に合わないではないの。挙句、費用は1万2千円ほど見繕ってください、とのこと。それならば、と近くのヤ×ダ電気へ。いや、びっくり。最近のプリンターって7千円くらいからあるのねっ。それに若干上乗せすると両面同時プリントまでできちゃうのねっ。下取りセール開催中とのことだったので、ウチの引き取ってくれますか、と聞いたら、えー、○☆ですかー、古いですねー。引き取ると言っても、代わりに捨ててあげるだけですねー、だって。

かくて、不本意ながら、私の愛機はすっぽりとごみ袋に収まり、不燃ゴミに。

でも、これって本当に許されるわけ? Mottainaiキャンペーン、素晴しい!とか大拍手送っているのだけれども、すごく逆行している気がする。

このようなゴミを生じさせるのはとんでもないと思いつつ、そうせざるを得ない。そして、こんなことをしているのは私だけではないだろうなあ、と思う。だって新しいプリンターの使い勝手の良いこと! 時間と手間の大幅削減。何でも新しけりゃ進化していて便利。でも、この分では、地球がゴミで埋まるのももうすぐだろうなあ、と猛烈に焦ります。

いつも、この瞬間に地球上のすべての生産を一旦中止して、今あるものを皆で分かち合って大事に使っていけばすごく環境に良いだろうな、と夢想します。でも、本当にただの観念論。何か実践しているのと聞かれれば、お客様が多い分、人一倍ゴミは出しているし、そこそこモノも買うしで、まったくの消費文明の申し子状態。いっそのこと他力本願でいっせーのせ、で新しいファッション生産、発売禁止令かなんか発令してくれたらラクなんだけどねえ。

大体、私ひとりの個人的な問題ではないのだから、世界的規模で誰かマザーアースの為に何か考えてくれないと。アメリカや中国なんて京都議定書すら批准しないでけしからん。自分たちさえ良ければいいのか。もっと非難されてしかるべきよね。加盟しないのが日本だったら、内外から突き上げ食らって大変なことになるだろうに。日本の自己規制は結構頑張っているし、各メーカー、熱心に取り組んでいて偉いと思う。心ある消費者はちゃーんと見てますよー。

などと私的には高尚なことを考えつつ、3年目のフリース上下と、だまだま靴下2枚重ね履きでうろうろしていたら、帰宅した主人が、もすこし何とかならないの、だって。ぼろは着てても心は錦。くれぐれもひらひらの新しいのに目移りしないよーに!

私も頑張りますので、皆さまも良い新年をお迎え下さいませ。本年も誠にありがとうございました。

●妻より(平成17年10月) 

いやいや、ラストアップデートから早、一ヶ月半が過ぎ、お陰様で選挙も無事終わりました。主人も再びご信任を賜り、国政に戻らせていただけることになりました。必ずや頑張って仕事をすることと思います。

選挙期間中もこのインターネットに関して様々なことがあり、やれ、党首の第一声が掲載されたのは違法だ、とか、ブログで党首の遊説について書くのがいけない、いや、政党や候補者のホームページだと駄目だけれど、個人のブログに関しての規制はないから良いんだ、などなど。私たちにしても、選挙戦が終わりましたら直ちにお礼をアップしたいのが人情なれど、これまた、ありがとう、と入れると違法、とか。じゃあ、どんな内容なら書いても良いの、と聞くと、個別の質問には答えられません、とのこと。とにかくインターネットの普及に対して完全に法律が追いついていない状態。ネット投票まではまだ尚早としても、早急に何とかしてもらわないといけませんよね。私もいずこかに陳情しようっと。

投票と言えば。何年か(かなり)前、まだ娘が赤ちゃんでバギーに乗せて投票に行ったとき、投票所の係員に、投票は純粋に本人だけで行わなければならないので、赤ちゃんは入り口のところに置いていって下さい、と言われ、じゃああなたが責任持って見ていて下さるのですか、と尋ねたら、いいえー、と言う。投票している間に連れ去られたらどうするのよっ、と血管切れそうになりながら聞いたら、目をそらせて答えない。帰って主人に、小さい子供がいる母親は投票権を行使できないわけ? と詰め寄りました。同じようなクレームは他にもたーくさんあったようで、公職選挙法が改正され、次の選挙からは堂々と子連れで投票できるようになりました。私共も今回、幼稚園生の息子が、選挙ってどうやるの?何するの?と関心高く、それならば、と社会勉強で投票所に連れて行きました。えー、これだけー?とがっくりしていましたが。他にも子供の姿があり、隔世の感がありました。

それにしても、七月の都議会議員選挙の時にも思ったのですが、最近の不在者投票、いまは期日前投票と言いますが、の簡略化にはびっくり。何せまったくの手ぶらで行って、名前と住所を言えばOK。あとから、身代わり投票をした、とかで、どこかの陣営の人が逮捕された、と新聞で読みました。ここまで簡単だと詐称を思いつく人も居るだろう、と案じてました。厳しすぎた針が、一人でも多くの方に投票に行ってもらいたいとの思いから、若干ゆるい方に振れすぎてしまったのかな、とも思います。

●妻より(平成17年8月)

今年は息子が幼稚園最後の夏休み、娘も中3でテニス部を引退し、久々にゆっくりできるサマーバケーション 主人が長くお休みできないので海外は無理としても、近場でちょこちょこ遊びましょう、そうだ、10年前、幼稚園生だった娘を連れて踏破した黒部ダムのアルペンルートがすごく良かったから、また行こうかしら、とガイドブックなどを買い込み、トレッキングシューズでも奮発して新調するか、と悠長なことを考えておりました。が、あれよあれよ、と解散になり、夏休みなんてぱあ。とんでもない天下分け目の関が原の真っ只中におります。

衆議院はいつ解散になるのかわからないので、常に臨戦状態、で、とにかくお休みの企画が立てられない、先々のお約束はできない、というのが我が家の基本ですが、さすがに前の選挙から1年10ヶ月しか経っていない今夏とは思いませんでした。

主人は選挙になると大張り切りモードにカチッと入ってしまいますが、私は選挙といわれた途端に胃が痛くなり、七転八倒。胃散くらいではとても治らないので、以前友人から、貴重品よ!と分けていただき、大事にしまいこんであった熊の胆をひとかけら呑んでみたら、やたら苦くてげろげろでしたが、しばらくすると、なんかすっきり。熊さんパワーで復活し、主人の手伝いにいそしんでおります。

選挙というと飲んで騒いで、エプロン姿のおかあさん達が炊き出しをしてくれて、というのははるか昔のお話で、今はやたらいろいろな制約があって、あれも違反、これも違反で大変です。

例えばこのクソ暑い中、頑張って遊説してくれた方たちに、おつかれさまー、なんてビールの一杯、カキ氷の一つもご馳走したいのが人情ですが、そんなことしたら、即、違反。選挙区の友達に、残暑見舞いもかねて、葉書を書き、お願いの一つも郵送するのが礼儀でしょ、なんて思いますが、これも違反。また、 煩雑な手続きが多く、期間中はやたら、手作業が増え、後援会の方々が連日お手伝いにいらしてくださるのですが、これまた、感謝とねぎらいの意をこめて、などとケーキをふるまってしまうと違反。でも、茶菓なら良し、なのはいかなる理由からか? ずいぶん茶菓をばかにした話ではございませんか! 私は好きよ、塩味のおかき。

実はこのホームページの文章にもいろいろな制約があり、選挙期間中は更新不可、とか、依頼、お願いをしてはいけない、とかあります。ですから私は主人に興味を持って、このページを開いてくださっている方に申し上げたく、喉まで出掛かっている一言が書けない。

大臣経験者は、自分の選挙区以外の応援に最低3日はいかなければならない、というお約束があるそうで、それ以外にもお仲間の所やら弟の所やらにどうしても行かなくては、ということで、今回も主人は不在の日にちがありますが、それ以外は、毎朝、毎夕、駅頭遊説をしておりますし、小さいミニ集会、大きい演説会、たくさん開催しております。新聞を読んでも、テレビを見ても、分からないことは一杯あります。記者や評論家がどちらかに肩入れしている場合は脚色も入りましょうし、わざとふれない事もあります。もちろん限られた紙面、時間では言い尽くせないことも多くあります。ですから、直に話を聞くのが一番です。

日本は、大変重大な岐路に立っています。日本がどちらの道に進んで行くのかを私たち自身が決める時だと思います。刺客だなんだ、と騒がれているようですが、そういうことではなく、世界の中で日本が一流の国として生き残っていくための道を決めるのです。識者の方によっては、日本は最早一流ではない、と言いますが、そのようなことは絶対に無い。ためしにどの国でも良い、日本と比べてみてください。総合点では日本が必ず上を行く、と私は思います。その日本がよりスリムになって、分りやすく、若返って、世界と伍していく力をつけていくかどうかを決める場です。皆さま全員がそこへの参加券を持っています。どうぞ有効に使って下さいますよう、お願い致します。

●妻より(平成17年4月)

月日は百代の過客にして・・・、と思わず松尾芭蕉の心境になってしまいます。いつのまにやら、ゴールデンウィーク目前。世間では、大型連休とのことで、たのしそーな企画を耳にしますが、我が家は中学生の娘の学校が全く暦通りなので、まぁ、せいぜい逗子の主人の実家に行くかねー、位かな。土曜日も学校あるし、日曜日は部活だし、日本の学校って家族旅行ができないようになってますね。これってどうなのかしら?ヨーロッパの人たちなんて、バケーションに命かけていて、そのために日々節約し、お休みが来ると、嬉々として家族で二週間とか一ヶ月とか出かけちゃいますが、あれって良いような気がするなぁ。

ま、どの道、主人が週末は地元のお仕事目白押しでお休みは有り得ないからな。みんな勤勉で結構結構。

それにしても。主人のスケジュールの詰め方はちょっと傍から見ていて異常で、とにかくぎゅうぎゅうに詰める。移動時間も含めて一分の隙もない日程を組み、五分でも間があくと、そこに依頼されている面会をつっこむ。かくして、一日が終わると、今日も働いたぜい、という達成感はあるものの、身体のほうはお疲れ極限モードで、かてて加えて花粉症でよく眠れないものだから、私が義母や、支援者のお姉さま方から、目が落ち窪んでいる、働かせすぎだ、とおしかりを受ける始末。

この話を仲良しの女医さんにしたら、彼女も、実は自分もそうなの、とのこと。すべての患者さんの話を聞いてあげよう、苦しみを緩和して差し上げよう、という思いが強すぎて、過剰対応になり、自分はぼろぼろ、ですって。主人とまさに一緒。

そこで。事務所にお願いして、とにかく一日に30〜40分だけでも、一人でいる時間をむりやり作ってもらうことにしました。主人は最初えー、それだけあったら、あれもできる、これもできる、と抗っていましたが、とにかく押し切りました。そうしたら。

すごーく、表情が穏やかになりました。人間にとって、休息がいかに必要か、というサンプルにできるくらい。

そりゃそうよね。聖書の時代から、安息日は週に一度、と決まっているくらいですものね。本人もこの自由時間がいたく気に入り、かえっていろいろなことについて落ち着いて考えることができ、効率が良い、と満足。もっとも、事務所的には、たまる仕事の割り振りに四苦八苦のようですが。悪しからず、ごめんねー。

私自身も、生まれついての、超貧乏暇なしモード人間なので、もう少し、余裕をもちたいなー。今朝、息子を幼稚園バスの停留所まで送ろうと一緒に歩いていたら、水溜りをみて、あ、大きいみずたまだねえ、おたまじゃくしいないかな、と言うので、みずたまじゃなくて、みずたまりでしょ、と言ったら、えらく驚いて、へ、そうなの、とのこと。そのあと、今度は宅急便のおにいさんが走っているのをみて、あのくろねこやまの人、うちにもよく来る人だね、というから、くろねこやまとだよ、と言ったら、またびっくり。何、くろねこやまと、ってどういう意味?とかいっている。これはどうも、私がせっかちで早口すぎて、語尾が不明瞭なせいでは、と深く反省。

そうよ。もう不惑の年なんだから、もっとゆっくり喋って、ゆったりと上品に美しく過ごすことにしーよーうーっと。おほほほ。

妻より(平成17年1月)

明けましておめでとうございます。え、もう一月も半ばですって? いや、この時代、ホームページを一ヶ月間放置しておくと、何か悪いことをしているような気持ちになりますね。でもだけど、年明け早々、地元の新年会やら、お世話になっている後援会のみなさまとの初詣旅行会でめちゃ忙しかったんですもん。今も忙しいですよー。なにせ、新年会って言ったって、3月の声を聞くまであるのですから。梅も咲きましたね、桜のつぼみが、なんて言い合いながら、おめでとうございます。

ちなみになぜこうなるかというと、それは多分、地域のお役を受けてくださるような方というのが限られているせいではないかと拝察いたします。特定の方に日程が集中してしまうので、当然のことながら、日にちが後へ後へとずれこんでいってしまう。

私どもの後援会の方たちも、ウチの世話をして下さるくらいだから、非常に面倒見の良い方ぞろいで、あっちの委員をやったり、こっちのボランテイアを引き受けたりで、大活躍の方ばかりです。

別に後援会の方をほめて、媚売るつもりはないのですが、つまりは何が言いたいかと申しますと、余りにも少数の、一握りの方しか、地域社会に関心を向けていないのではないか、と不安に思うわけです。昨年来の自然災害を見ていると、万一、何かが起こってしまったとき、頼りになるのはお互い、ご近所さんしかないだろう、と切実に思うわけです。でも、何もしなければ、関係は生じないわけで、そうなるとやはり、普段から、何らかの形で、地域のことごとに顔出し位はしたらよいかなあ、と。とか言って、ウチもお祭りのとき、子供連れて遊びに行く程度で、世話をしていただきこそすれ、何の役にも立ってはいないのですけれども。

実際問題として、毎日毎日忙しく、どこに地域社会に回す時間があるんだい、とおっしゃる方が殆どだと思います。私自身だって、一日30時間にして欲しいくらいで、どこにも時間は余ってません。でも、回覧板をまわしたり、町内会の歳末助け合い募金箱に、あ、かさかさする、誰がお札を入れたんだ? なんて思っているだけでも、それなりの所属意識は生まれますし、いざという時にはこの連帯感が非常に大切なのでは、と心から思います。

と、新年早々説教くさいか。ま、こうして、年々おばさんになっていくわけよ。でも、おばさんと言われようが、年末の、火の用心の拍子木に、寒い中、お疲れ様です、くらいは思うべきだと思うなあ。 あれとて、地域のボランテイアが出動して下さっているわけですから。きっと寒いでえ。あんたやれ、と言われたらすくんじゃうと思うな。

さて、2005年、酉年の主人は年男です。人間ドックにも夫婦で入り、体調もお墨付き万全さ。本年も張り切って参ります。またまた、どうぞ宜しくお付き合い下さいませ。

●妻より(平成16年12月)

残暑、残暑、などといっているうちに、なぜかもう師走も半ば。年々、日時の過ぎるスピードが加速している気がします。
毎日曜日、サザエさんを見るたびに、えー、もう一週間経っちゃったわけ?! と新鮮な驚きと焦りに打たれます。サザエさんといえば。
先日、“弟”という、主人の父が原作で、裕次郎叔父の生涯を描いた、五夜連続のドラマが放映され、関係者一同、視聴率に非常に神経質になったことがありました。おかげさまで、結果は上々で、最終話など30%近い数字が出、石原プロの小林専務も恵比寿顔。私も他人事ではなく、いつになく、新聞の週間視聴率トップ30、等という欄につくづくと見入り、びっくり。

(1) スペシャルドラマ弟 最終夜 28.0%
(2) スペシャルドラマ弟 第4夜 25.7%
(3) スペシャルドラマ弟 第1夜 23.6%
(4) もののけ姫 23.3%
(5) サザエさん 22.1%

サザエさん、すごいです。(@_@。

息子も、番組最後のサザエさんとのじゃんけんに命をかけていて、ウチも高視聴率を支えるワン・オブ・ゼムです。もっとも視聴率測定機はついてませんが。

まあ、と、いうわけで、もう年賀状の心配をしなければいけないのですが、年賀状ソフトを開けてみて、大ショーック!パソコンがウィルスにやられておおわらわ、のお話は、以前させていただきましたが、その際にアドレスが全部飛んでしまったらしく、ない、ない、どこにもなーい! 前にメルアドがやはり、すべて消えてしまって、往生しましたが、その際、年賀状のことまでは思い及ばず、今に至るまで放置してしまいました。バックアップも古いのしかないの、クスン(:_;) また、あの気の遠くなるような入力作業を一からやるのねっ。やっぱり、昔ながらに、住所録に控えたものをアナログで写すほうが、結局はパソコン依存心も生じず、したがって裏切られることもなく、精神的安寧が得られるのではないかしらん?

カメラなどに関しても、思うのですが、デジタルだ、CDロムでラクな収納だ、と言っても、つまるところプリントアウトしてアルバムに貼る訳だから、むしろ手間は増えているような気がします。

家でプリントアウト作業をすると、一本一本線が描かれていって、ハッと気付くと、深夜過ぎているし、高いインクは直ぐ無くなるし。大体、デジカメってバッテリー切れたらただの箱と化すわけでしょ。

海外行ったらどうするの? バッテリーチャージャー持って歩けって? それってめんどいし。ああ、今年ももう二週間!!あれもやらなきゃ、これもやらなきゃ、が山積み。

大臣をお役ごめんになり、多少の暇ができる筈だった主人は、仕事量が全然変わらずで、家のこと、子供のことに関しては、戦力外通知。これについては、本人も毎朝、おかしーなー、なんでこんなに忙しいんだ? と首をかしげながら、真っ黒な予定表を握り締めて、出かけていきます。

忙しい、忙しい、というともっと気忙しくなるのでやめよう。一日が30時間あったら良いかしら? 睡眠時間が増えるだけかなあ、早くふけちゃって損するかしら。などと思いつつ。

本年も大変おせわになりまして、ありがとうございました。来年の皆様方のご健勝、ご多幸をお祈りしつつ、引き続きのご支援、ご鞭撻をお願いいたしまして、2004年度 妻の目 最終稿とさせていただきます。きゃー、年が明けると今度は怒涛の新年会だっ!!

●妻より(平成16年10月)

いやいや、おかげさまで三年半無事に勤めさせていただき、このたび、大臣職をお役御免となりました。感覚としてはあっという間ですが、よくよく振り返ってみると実にさまざまなことがありました。マスコミによっては、ミソをつけたの、なんのとえらい酷評を頂いておりますが、一番身近で見ていた女房と致しましては、本当に毎日良く頑張った、と言いたいです。

様々なことに、驚くほど多くの人々がそれぞれの思惑で複雑に絡み合っている中、変化をもたらすのは大変なことです。それでも、現場の反対反対の大合唱の中、先の国会では、道路公団の民営化などを含む法案を18本成立させ、これは国土交通省始まって以来の大快挙、と役所の方々は興奮気味でした。国鉄だって、民営化法案が通って今日のJRになるまでは15年かかっているわけです。道路だって、一気に余りに過激な提案をして賛意が得られず、法案がぽしゃり、お蔵入りになってしまうよりも、とにもかくにも、今、このチャンスにスタートを切ってしまわなければ、ということで作った法案です。若干、表現はマイルドになったキライはありますが、これがまた、一部では骨抜きとみなされているようで残念です。

できることを端から少しずつやり、結果として大きく進めば良いと思うのですが。イチロー選手だって一本、一本、と打って行ったら、とても到達できないと思っていた記録を達成できた、と言っておられるではありませんか。賢明なる日本国民がしっかりと目を光らせて、国の行く末を見据えていけば必ず改革は成し遂げられると思います。少しでも良い状態の日本を子供たちに残してやれるよう、刹那的な論調に流されず、しっかりと仕事をして行きたい、と主人は常々申しております。

とにかく、主人としましては、ほっと一息。久しぶりにお酒が美味しい、と表情まで柔和に過ごしております。ご無沙汰ばっかりだった地元の行事にも顔が出せ、皆様に、ごくろうさん、と言われると心底嬉しそう。家の門のところに押し込んであったポリスボックスも撤去され、暑い時も寒い時も、蚊や雨に悩まされながら、こーんな狭いスペースに詰めていてくださった警察官の方々に感服。伊達や酔狂でなれるものではないな、と思いました。凄い使命感だと思います。SPの方も然り。立派に武道を修められ、常に周囲に配る目つきの鋭さ、生活を律する姿はかっこよく、ある大臣の奥様が、いやになっちゃう、亭主よりSPさんの方が数倍見栄えするんだもの、とぼやくのにもうんうん、と深く肯けるのでした。

もうすぐ5歳の息子は、物心ついた頃から、ずっとポリスボックスがあったものですから、撤去の日、おまわりさんに、バイバイ、と言われ、どうしてお引越ししちゃうの???状態。お父さんのお仕事が一つ終わったからなのよ、というと何を勘違いしたか、じゃあお父さんはこれから毎日お家にいて、ボクとずっと戦いごっこできるんだね、と大喜び。でもそれじゃあ、稼いでくれる人が居なくなって、ご飯食べられなくなっちゃうので困る、と言うと、お金なら銀行に行って、カード入れれば出てくるから大丈夫、とのことでした。 やはり、お給料の銀行振り込みって良くないかも!?

改めまして、皆々様、心から、ありがとうございました! 今後も頑張ります!

●「ヴォーグニッポン8月号 」インタビュー(平成16年7月)

ヴォーグニッポン8月号
Always A First Lady
三木元首相夫人、石原大臣夫人が語る
「政治家の妻としての心得」
発行 日経コンデナスト 定価780円

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故・三木武夫元首相夫人の睦子さんは、多くの平和運動や外交、著書等で活濯し、政治家、そして政治家の妻から尊敬を集める政界の重鎮。一方、石原伸晃国土交通大臣夫人の里紗さんは、元女優として活濯された後、日本のケネディ家ともいうべき石原家に嫁いだ、未来のファーストレディ候補。新旧「政治家の妻」お二人のお話を、三木武夫邸に併設された三木武夫記念館で伺いました。

Photos:Yoshinori Mido

  1. 石原:

    「きょう、三木夫人と対談なんだ」と夫に話したら、「しっかり叱られていらっしゃい」と言われました(笑)。

    石原里紗 Ishihara Risa
    1963年東京都生まれ。小学校2年生の時に、父親の転勤に伴い、イギリスとオランダで12年生活する。慶應大学法学部政治学科卒業。在学中に、TV朝日CNN ニュースキャスターに抜擢。1986年にはTBSテレビ小説『朝の夢』ヒロイン役でドラマデビユー。88年、当時日本テレビ勤務の石原伸晃(30歳)氏と結婚。90年衆議院議員初当選。二児の母。現在ご主人のホームページで、「妻の目」を連載中。
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  2. 三木:
    自分が政治家になるほうが、もっと楽だと思うときもありますよね、間に挟まっちゃって。
    三木睦子 Miki Mutsuko
    1917年千葉県生まれ。東京府立葉一高等女学校卒業。昭和電工の創業者である父・森矗昶(もり・のぶてる)、兄・暁(さとる)、清、そして弟・美秀は衆議院議員として活雁した。1940年三木武夫と結婚、のち半世紀にわたってその活動を支える一方、アジア婦人友好会会長、国連婦人会会長なども務める。著書も多く『信なくば立たず』(講談社)、『心に残る人々』(岩波書店)など。
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  3. ヴォーグ:

    まず初めに、なぜ、今回『ヴォーグニッポン』が、「政治家の妻」という女性の生き方を取り上げる特集を企画したのかというところから始めさせていただきたいのですが…。日本では、政治家の奥さまというと、“目立ってはいけない”というか、“控えめでなければいけない”というような空気がありますよね。何か発言しようと思ってもなかなかできないとか。

    アメリカの政治家の妻たちを見ていると、妻も、その政治家を判断する上での大切な要素というか、妻と一緒の姿に、アメリカ人は幸福の理想を描きながら、一票を投じているのではないかと思うんですけれど…。なかなか見えにくい政治家の妻の生き方をもっと知りたい、そして、日本の政治家の妻たちも、もっと表に出ていただきたいという期待を込めた企画なんです。三木さんのご著書や講演の内容を拝見していますと、ご自分の意見をはっきりとおっしゃっていて、それは、三木武夫氏が活躍されているときからですか?

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  4. 三木:

    そんなこともないんですけどね。ただ、私は台所が忙しかったものですから、そうそう出ていく暇がなかった。結婚した時は、三木は、5〜6人の学生を抱えておりました。だから、学生の世話やら何やらでもって、なかなか時間がないところへもってきて、また子供が次々と生まれちゃうし、戦争も始まって、なかなか外までしゃしゃり出る暇がなかったのね。何でも“自然体”でやらなきゃ、腹を立ててもしょうがないですし。

  5. ヴォーグ:

    石原さんはいかがですか?

  6. 石原:

    私は自分が選挙で選ばれているわけじゃないので、たまたま他人様の前に立つ機会は多いんですけれども、そこで私の意見を開陳するというのは、本来違う話だと思います。今度も後援会の行事があって、800人ぐらいの方々と、山梨のほうへ行くのですが、皆さまの前でお話ししなくちゃいけないので、私、今晩あたりからちょっと原稿を書かなくちゃと。その場で申し上げるとなかなかまとまりがつかないので、一応レジュメを作るんですよ。

  7. 三木:

    偉いわ。

  8. 石原:

    でも、そこで例えば私が「今回の年金問題はどうも……」なんて言うのはきっと皆さん本来はお聞きになりたくない話だと思うんです。ですから、私が皆さまにお伝えするのは、主人はそれに対してどう言っていますよということで、それが私の仕事だと思っていますので。

    父のブレザー、白の手袋にすごく憧れたらしくて。

  9. 三木:

    いくつぐらいから政治に関わりなさいましたか、ご主人は。

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  10. 石原:

    はい。主人は32歳で初当選させていただきまして、まだ47歳でございまして。ひよっこで申しわけございません(笑)。

  11. 三木:

    いえ、若い頃にね、お父さまが初めて立候補なさった時、あれは、一番最初の選挙の時だったと思うけど、私、手伝いに伺ったのね。そうしたら、おたくのご主人がいらしていたのね。「あなたね、そこへ顔を出すとね、味方ばかりいるわけじゃないから、敵もいる。未成年が政治に顔を出すというのは禁じられているから、部屋の中に引っ込んでいらっしやいよ」ということを申し上げたことがあったの。だから、随分小さい時から関与していらしたと思いますよ。

  12. 石原:

    そうでございますね。主人もしっかり覚えておりまして、「きょう、三木夫人と対談なんだ」と言ったら、「しつかり叱られていらっしやい」と言われました(笑)。「すばらしいおばちゃまだから、ちゃんと話を聞いていらっしゃい」って。子供心にも、大変印象的だったようです。

  13. 三木:

    「隠れてらっしゃいね」って申し上げたんです。

  14. 石原:

    参議院選挙だったと思うんですけれども。

  15. 三木:

    ああ、そうでしたか。

  16. 石原:

    はい。主人がその時に、父のブレザー、白の手袋姿にすごく憧れたらしくて。

  17. 三木:

    それは、お父さまの政治家としての姿に憧れるというのはすごいことですね。うちの孫たちはというか、子供たちはだれも憧れてくれなかった(笑)。

  18. ヴォーグ:

    例えば、ご主人さまが、大変な問題を抱えて、世間からバッシングを受けているときに、どのように接しましたか?

  19. 三木:

    私は放ったらかしです。

  20. 石原:

    放ったらかしですか。例えば好物のお料理を作って差し上げるとか。

  21. 三木:

    そういう優しい、女らしいことはしてあげたことはなかったような気がします。それで何十年も済んできてしまいましたからね。男の人ってみんなわがままでしょ。

  22. 石原:

    子供っぽいかもしれないですね、確かに。うちの主人も発熱にすごく弱いんです。37度ぐらい出ますと、もう生きるの死ぬのの騒ぎになっちゃって、「いたわってくれない」とか言い出して(笑)。

  23. 三木:

    そういうことありますね。こっちが熱を出していても知らん顔して、「私、今、熱があるからちょっと寝ようと思う」と言ったら、私のベッドにころんと転がって寝ちゃったりね(笑)。そういうところがかわいいといえば言えるんだけど、そこまでかわいいと言えるようになるまでが時間かかりますよね。

    “森”と“三木”は3本の木でつながっているからね。

  24. ヴォーグ:

    ご結婚されるきっかけは?

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  25. 三木:

    私は、中学校時代からお世話になっていた方のご紹介で。話が決まりかけていたのに、私がぶつくさぶつくさ言っていたものですから、三木のほうから、「結婚しても何も変わらないよ。“森”と“三木”は3本の木でつながっているからね」って。

  26. 石原:

    すごい。運命ですね。

  27. 三木:

    それで、まあ、いいかと思っちゃったんですね。大学を卒業したその年に、誕生日がきて年が30歳になって、そしてすぐに選挙だったんです。

  28. 石原:

    うちの主人は、テレビ局に勤めるサラリーマンでした。

  29. ヴォーグ:

    じゃあ、結増されるときは、女優さんとテレビ局の社員というカップルだったんですね。そのときは、政治家になられるとは思わなかったのですか?

  30. 石原:

    「ならない」って言っていたんですよ。父に紹介しましたら「えっ、石原慎太郎の息子? だめだ、だめだ。そんなの苦労するに決まっているから」と。そうしたら、「僕と父は24歳しか離れていないんです。おやじもまだ元気ですから、僕は後を継ぎません。継ぐとしても弟たちのだれかが継ぎます」と言ったんです。ですから、私は普通の会社員と結婚したつもりでいたんですけど(笑)。

  31. 三木:

    運命ってどこでどう変わるか分かりませんね。

    ishi1.jpg

  32. 石原:

    はい、こんなに大変なことになるとは…。東京の選挙区は、毎回30%くらいの有権者が動いてしまうんです。そのたぴに新しい選挙をしていかなくちゃいけないものですから、気分的にゆっくりできないんです。

  33. 三木:

    選挙区に住んでいらっしゃるし。

  34. 石原:

    はい。ど真ん中に(笑)。

  35. 三木:

    私は選挙区から遠く離れておりますからね。ほとんど選挙区へも行かずに。最初のうちは子供が幼かったからとか、何とかかんとか言って選挙区から離れて。ただ、そのうちに三木が自分の選挙区どころじゃなくなりまして、大勢の人のお世話をしなきゃならないので、私一人で選挙区全部まわって、三木が、最後の日にぱーっとやってきて、通り抜けていくというような。

  36. 石原:

    私もこの間、初めて主人がほとんど選挙区にいない選挙だったんです。もう胃が痛くて(笑)。後援会の方たちはいないとわかってくださっているので、いいんですけれども、看板とかを見て、たまたまいらしてくださった方とかが、しばらく話を聞いていて、「えーっ、本人来ないの?」って言って帰っちゃうんですよ。それがつらくて。

    いつも父が何を言い出すか、ひやひやしながら(笑)。

  37. 三木:

    まあ、石原さんみたいに有名な方は、顔だけ見りゃいいという人もいるでしょう。

  38. 石原:

    それが顔すらも出してくれなかったものですから、ああ、手の中からこぽれ落ちちゃった票だわとか思いながら、とてもストレスでした。

  39. 三木:

    お父さまの名声もあるし。

  40. 石原:

    ただ、これがいい面も悪い面もありまして、いつもながら、どっちかなって。いつも父が何を言い出すかひやひやしながら(笑)。

  41. 三木:

    自分が政治家になるほうがもっと楽だと思うときもありますよね、間に挟まっちゃって。

  42. 石原:

    そうですね。本人は好きでやっていますから、何でもよろしいんでしょうけれど、子供たちがかわいそうだなと思うことは多々あります。

  43. 三木:

    奥さんは、庶民との間の通訳というか、−般市民がどう考えているかということをご主人に知らせてあげるのが仕車じゃないかと思います。

  44. 石原:

    バッシングされているということを、どう家で取り上げたらいいのかというのですごく悩むんです。知ってるのよという態度なのか、全く知らないわなのか。

  45. ヴォーグ:

    将来、石原伸晃氏が、内閣総理大臣になられる可能性もあると思うのですが、そのとき、ファーストレディになられる里紗夫人へ、三木さんから、何かアドバイスはありますか?

  46. 石原:

    こんなに選挙が厳しくて、ファーストレディだなんて(笑)。

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  47. 三木:

    総理大臣になったからといって急に、どうっていうことをお考えになる必要は毛頭ないと思います。

  48. 石原:

    考えてないです、そんな全然(笑)。

  49. 三木:

    ただ、やっぱり一緒にお偉くなっちゃわないで、奥さんは庶民との間の通訳というか、一般市民がどう考えているかということをご主人に知らせてあげるのが仕事じゃないかと思います。私は官邸に住まなきゃいけなかったのですが、あそこにこもってしまったら、どんどん話が通じなくなりますからね。

  50. 石原:

    おっしゃいますこと、すごくよく分かります。ただ、良いときはいいんですが、政治家ですから、攻撃されるときもございますよね。そういったときに、バッシングされているということをどう家で取り上げたらいいのかというのですごく悩むんです。知ってるのよという態度なのか、全く知らないわなのか。

  51. ヴォーグ:

    政治家の妻になって、よかったと思うことは?

  52. 三木:

    私、よかったなと思ったことはない。

  53. 石原:

    ないですか(笑)。

  54. 三木:

    私の父は、若いときから会社をやってきたから、会社の社員になるのが当たり前だと思っていたのに、とんでもないところへ飛び込んじゃったわけですから。ただ不思議なことに、父も叔父も、兄も二人、弟も甥も、6人一気に、一度も席をあけずに国会議員になっている。選挙というのは嫌な面もたくさん見てこなきやいけないですからね。私、代議士になりたいっていう人たちの気持ちがちっとも分からない。自分の娘(参議院の高橋紀世子議員)もそうですけどね。やっとやめてくれるそうです。もう60過ぎていますから、引退してくれて、私はほっとしております。

(提供:ヴォーグニッポン)

●妻より(平成16年7月)

私は電話があまり得意ではありません。だらだらと話していると、どうも言わんでも良い余計なことを言ってしまう気がするし、大体、相手が何をしているのかも分からないのに、突然闖入するのは、よほどの用件があるとき以外は失礼な気がする。だから、だれそれに電話しよう、と思っても、時間を見はからいすぎて早、二週間、みたいなことがよくあり、そうなると、もう用件もへったくれも大方は時効になっており、結局しないままで終わってしまう。かくて私は女性特有の電話コミュニティからも自然にはずれてしまい、我が家の電話代はいつも基本料金を納めるだけで済んでいます。

もちろん昔は電話大好きの学生でした。私が学生の頃は当然携帯電話などなく、友達との連絡は全て家の電話で、母に、まあよくぞそんなにくっちゃべることがあるわね、と感心されながら、われながら良くしゃべったと思う。考えてみりゃものすごいエネルギー。

その私がこんなに電話恐怖症になったのはひとえに選挙の時の電話のせい。そうです、ただいまも参議院選挙戦のまっさなか。みなさま、投票依頼のお電話かかって来ませんか? 炒め物をしている最中、洗濯物を干している最中、または気持ちよくお昼寝している最中、うるさく鳴る電話にやれやれ、と出ると、異様に明るい声で○×候補をおねがいしまーす、ってやつです。それも二回や三回なら話も聞こう、投票にも行きましょう。でも、五回、六回と家事を中断されると、おたくだけには入れないっ、とか思いませんか?

それを、やる方の立場になりまして。申し訳ないの雨嵐。恐縮の塊。冷や汗だらだら。選挙の時に、電話よろしく、とか言われて、どーんと名簿を渡されるわけです。それでハジからかけるわけですが、まーぁ、おこられるは、叱られるは、で大変。そりゃ、食べ物やさんにお昼時かけてしまったり、違う信条をお持ちの方にかけてしまったりで、ご迷惑さまさまなのはよーく分かります。よーく分かるんですが、あまりに罵詈雑言浴びせられすぎて、電話というものが凶器であることが身にしみて体得できました。 直接相手様のナワバリを侵すわけですから、傷つけられても文句言えないものなのだな、と。

このような電話トラウマを抱える私にとって、メールの登場、普及は非常にありがたかった。時間も気にせず、送りつければ、相手が都合のよいときに見て返事をくれる。こちらも子供が寝てほっとしたときにそれをのぞけば事足りる。これはトレビアーン! ましてやそれが携帯メールとなるともっと便利! と今や私のコミュニケーション手段は専らメールである。

その!! 私の友人たちとの大切な窓口が!!

やられました、ウィルスに。もうめちゃめちゃ。重篤な症状。

アドレス帳から勝手に文字化けした怪文書をあちこちに送ってくれるわ、ヘンな画像を開いてくれるわ、文章作成中に突然シャットダウンしてくれるわ、で使用不能。あったま来るなー。ちまたのウィルス事件を聞いて、とにかく感染しないようにと細心の注意を払って、アヤしいものには接続せず、知らない人とはチャットせず、不明なものは即削除してたのに。うがい、手洗いを励行していたのにインフルエンザにかかってしまったようなもんです。ウィルスに侵されるようなヘビーユーザーじゃないんだけどなー。

と、繰言を言っていても自然治癒するわけないので、町内のイケメンパソコンプロのTさんに治療をお願いする。その場では治らず、入院。で、なぜかことの成り行きでケーブルテレビを契約することになって、(ケーブルの方がウィルスが入り込みにくい、最新ウィルスバスターが送られてくる、などなど)ぜんぜんテレビをつけない私としては、どうやったらモトがとれるかと、せこい勘定をしている次第です。結局喜んでいるのは、24時間マンガをやっているチャンネルがあるよ、と聞かされた息子だけなんですけど。

ちなみに、小型船舶一級の試験の結果が送られてきました。見事、合格。しかも、満点だっ。見たか、のぶてる!

●妻より(平成16年4月)

いやー、ご無沙汰してしまいまして。何やってんだ、とお叱りのメール多数。実は12年ぶりのマイコプラズマ肺炎になっていましたのさ。

ご存知ですか? 4年にいっぺん流行る、というヤツ。それが最近では、周期が狂っていて毎年、菌がうようよしているらしい。これは通常の肺炎と違って、そんなに一気に症状が出ないので、なーんか咳が出るなあ、激しくなってきたなあ、もうそろそろ治っても良い頃なのに、などと思っているうち、しゃべるのか、咳するのかどっちかにせい、みたいな状態になって、気がつけば、毎夕ふわーっと微熱が出る。

それで慌てて、病院で血液検査をしてもらったら案の定、マイコ菌128倍陽性。12年前に、同じ病気にかかったときは、なめてかかって、そのまま 帯状疱疹(ヘルペス)、自律神経失調症に突入し、ひでーメにあったので、とにかく今回は自重、自重。全てを放棄して、ひたすら毎日おうちでゆっくり過ごしました。

で、最初のうちは趣味の読書に没頭してましたが、実は私は、走るのは遅いが、読書スピードはめっちゃやたらと速い。一日3,4冊ずつ読んでいるうちに、何がどの主人公の過去なんだか、誰と誰がどうだったのか、相関関係に混乱をきたすようになってきたので、ちょっと休憩。そうだ、お友達から借りっぱなしになっていたDVDをみるチャンスじゃない、と見始めました、冬のソナタ。

はまりました。病気療養をしているはずが、いけない、まずい、とおもいつつ、夜中の2時3時まで、別れたの、くっついたの、って。細かいことを言えばいろいろあるのでしょうけれど、私は純粋に、見て良かった。皆様もお暇なら見てよねー。きっと、分かるよ、その気持ち、って同感する所があるのではないかな。それにしても登場人物全員があれだけびーびーと涙を流しつつも、誰も鼻水をたらしていなかったのは立派だ。韓国の名優の条件は泣き顔が美しいことなのかな。

そんなこんなで療養だかサボりだかわからない日々を過ごし、体重もなぜか2キロも増え、あーやっと治ったー♥

と喜び、ふとカレンダーを見ると、でーーー!!!

以前に申し込んだ小型船舶1級免許の講習会、国家試験が目前に迫っているじゃありませんか。

平成7年7月7日に、ジェットスキーに乗ろう!と思って取った小型4級の資格が履歴書に書くにはちょっとシャビーなので、という安易な気持ちで申し込んだ1級なのだけれども、入手したテキストを見て、真っ青。なんだかぜんぜん理解できませーん、デイバイダー、三角定規の使い方もさっぱりわかりませーん、海図よめませーん。で、ねじりハチマキで机に向かっていると、帰宅した主人が、どうせ無駄だからやめたら、と鼻で笑うので、余りの悔しさにぜーーったいに合格してやる、と胸に誓う。

もう、頑張りましたよ。本当に。

理解できない箇所はしょうがないから、単語帳(何年ぶりに買ったか...)にせっせと書き写し、持って歩いて丸覚え。デイバイダーが尖っていて、4歳の息子には、とても見せられないので、昼間はできず、夜、子供たちが寝静まると、海図と格闘。するとそこにまた主人が帰ってきて、今、GPSがあるからそんなの必要ないよ、と気持ちが萎えるようなことをぼそり。いーや、バッテリーがあがってGPSが使えなくなった時こそ私の出番なのさ。

予習十分、気合満々で講習を受け、そのまま70分の試験。非常に良い手応えで、帰宅後、チェックすると、なーんと満点だっつ! みたか、のぶてる、おばさんパワー炸裂だ。と悦に入ってるんだけれども、実は今日段階でまだ合格発表は先。どうしよう、名前の記入漏れとか、答えが一個ずつずれてるとか、悪夢の様なボケミスでこけたら? 結果は次号にてご報告させていただきます。

P.S あちらこちらで、前回の号に一緒に写っているチワワはお宅の?と尋ねられるのですが、あれは私の弟の愛犬ひなちゃんです。

●妻より(平成16年1月)

あけましておめでとうございます。皆様におかれましてはつつがなく新年をお迎えでいらっしゃいますでしょうか、などといささかなりとも改まった気持ちでいるのに、中学生の娘の友達に会うなり、あ、おばちゃん、あけおめことよろ! っていったい何なのよ。まあ、たしかにメールでやりとりするには字数が少なくて便利だわな。

おかしいのは、常に携帯を手放さず、全てをメールでやり取りしている娘が、年賀状だけは気合を入れて書き、年末から、年賀状が楽しみ、とみょーに期待をし、年があけるやいなや、一日何回も郵便受けを覗き、多いの少ないの、と一喜一憂していたこと。これがまた、15日になると大変。お年玉はがきを、一枚づつひっくり返し、懸賞の当選の有無を調べる。でもそれで、昨年もふるさと便とかいうのを3つ、切手を30枚位見つけ出したのは、えらかった。ウチの厚いテレビを考えると、今年は是非1等の薄型テレビを当ててほしいものです。 娘は昨年末も福引で電動マッサージ機を当ててきたので期待できるかも。宝くじなんかも当たる人は何度も当たる、と聞くけれども、本当なのだろうか。あと、イニシアルM.K、O型の女性が良く当たる、などと言うのも聞いたけれども、根拠はあるのかしら?

私はこの手のものは小さいころから当たったためしが無い。

買わないから当たらないのは当たり前だけど、買っても無駄な気がすごくする。そうだ、今年の暮れは娘に年末ジャンボを買ってもらおう!! 当たったらどうしよう、わくわく。

ところで私は、年末年始は年賀状がプレッシャー。政治家は年賀状の出し方まで法律で決まっている。いわく、選挙区に住む人に年賀状を出す際は自筆による答礼に限る。つまり、宛名から自分の住所まで全部手書きで、かつ頂いた賀状のお返事でなければいけない、のです。私は政治家の妻なので、直接この法律は関係ないのだけれど、なんだか気持ち悪いし、やっぱり全部手書き、に今まではしていたのだけれども、年末の忙しさを鑑みると、物理的に非常に大変。なので今年は初めて年賀状ソフトを購入しました。でもこれで、何十枚ずつ刷ってしまうと、やはりいけないのだろう、と考え、一人一人に違った印刷をしていたら、結局書くのと同じくらい手間取った。輪ゴムで留めて投函するとき、愛情込めた作品を手放すみたいな、一抹の寂しさをおぼえたもの。でも、何が厭、ってこれだけ膨大なエネルギーを投入しているのに、それでも、大半の方にはお返事書ききれず、いただきっぱなしになってしまうこと。何だか新年早々、すごく怠慢しているみたいで気分が悪いんだな、これが。

年明けの墓参に行った帰り、主人が、前々からどうしてもトイザ○スに息子を連れて行きたかった、というので、藤沢のモールへ行きました。そこで、子供たちに、落とし玉としてなんでも好きなもの一つ買ってあげましょう、と、主人が息子を連れ、私が娘を連れ、それぞれお買い物。大満足で帰宅し、息子の玩具をあけると、なーんとキッズコンピューター、ピ○の、ソフト。おいおい、本体が無いのにソフト買ってどないすんのや? 主人は、えー、詐欺だー!! なんてのけぞるものの、箱にはちゃんと“別売りの本体が必要です”とかいてあるじゃないのっ! 息子だけが、じゃあ、本体を買いに行こう、とほくほくで、何か釈然としないなあ。で、今、インターネットオークションで入札かけてます。どうかな、落札できるかな?

いずれに致しましても、どうぞ皆様、本年も宜しくお願いいたします。今年もフルマラソンで突っ走りたいと思います!

●妻より(平成15年11月)

このたびの選挙におきましては、たくさんの応援を賜り、主人を再び国政の場に送り出してくださいまして、本当にありがとうございました。

長いような、短いような一ヶ月でした。実にたくさんの方にお会いました。主人に付いてくれていた後輩なんて、選挙後、しばらく人は見たくない、と山奥にこもってしまったらしい。そのくらいたくさんの方にお会いし、話を聞いていただき、いたわっていただき、励ましていただきました。実はこれが代議士の妻の醍醐味かも。つまり普通に生活してるのでは感じられない人情に触れることができるということです。

私どもの選挙区の杉並は、東京のど真ん中で住宅街が多く、一体どこに、誰が、みたいなところですが、じっくり腰を構えてみると、ヨソ行きの顔の下にとても温かい人情味を隠している。それが選挙になると良く分かります。選挙というのは、応援していただいたからといって、何かの見返りを差し上げることなどできないのですが、まさに無償の奉仕、応援をしてくださる。ボランティアの極致です。

選挙期間中に配ることのできる印刷物は、公職選挙法なる法律で全て細かく決まっています。例えばビラ。衆議院選挙で配ることのできるビラは、候補者個人の分が7万枚、政党の分が4万枚のあわせて11万枚。このビラがまた曲者で、『証紙』を貼らないで配ると選挙違反。で、この『証紙』。選挙がスタートするその日の朝に、選挙管理委員会から各候補に配られる、切手サイズのシールなんですが、11万枚ですよ、11万枚! どうやって貼れっていうの、というくらいの量ですが、せまーい選挙事務所に、すわっ!と駆けつけてくださる女性部の皆様が瞬く間にやっつけてくださる、その早いこと、早いこと。さらにポスターにだって1000枚の証紙を貼らなくてはいけませんし、選挙用はがきも(これは5万5千枚!誰が何考えて決めたんだか)私どものは、心のこもった手書きです。改めて考えると泣けてきちゃう。有難いなぁ。

今回の選挙は主人が半分以下しか選挙区に入ることができず、参りました。かといって、何もしないというわけにもいかず、演説会は今まで通りセッティングするわけです。そうすると事情を分かってくださっている方は良いのですが、たまたま看板を見てふらり、と来てくださった方が、しばらく他の弁士の方の話を聴いているうちに、あれ?と思い、やがて、えー、本人来ないの?とがっかりされて帰ってしまう、これが辛かった。きっと何か、騙されたような気がしただろうな、と思うとすごく悪いことをしているみたいで本当に気が重く、そのせいで胃が痛くなり、おかげで体重が3.5キロ減りました。主人も4キロ減ったらしいいし、みなさーん、ダイエットには選挙ですよー。

でもまあ、おかげさまで無事終わりました。お礼の電話をかけていたら、何人かの方に、楽しかったわ、また近いうちにやりましょーねーと言われました。

私は、できたらあまり近くない方がいいのですが・・・。

●妻より(平成15年10月)

9月22日、第二次小泉内閣組閣の日。

本日をもって、行革相としての任期も終了。2年半の間に担当の行政・規制改革の分野では、予算面だけ見ても、特殊法人向け予算を1兆4千億円削減、公益法人向け財政支出を750億円削減したとのこと。道路改革については、今後の高速道路の建設コストを4兆円削減、管理コストを2100億円削減することを決定。規制については、JRのSuicaカード、ICタグ、燃料電池などの先端技術に関するものも含めて千を超える規制を緩和し、市場を広げる役割を果たしたとの由。

残念ながら力及ばず、上手にまとめられなかった案件も勿論あるけれども、自分としては一刻たりとも無駄にせず、精一杯働かせてもらった、と主人は清々した表情で朝、でかけてゆきました。

日々の公務が忙しく、同じ東京にいながら、なかなか選挙区の行事に出席できず、応援してくださる皆様ともご無沙汰だ、そうだ、また、駅頭で遊説をしよう!と燃えているので、私としてもほっとしながら、久々にゆったりとした気分で爪など磨いておりましたら、突然、ケータイやらメールやら電話やらが一斉に鳴り出し、オメデトーの嵐。半信半疑でテレビをつけてみると、なんと驚いたことに、国土交通大臣とテロップが確かに出ているじゃありませんか。

はて、国交相とは何する人ぞ、と首をかしげていると、実家の父が電話をかけてきて、省庁統廃合の前、昔で言えば、建設大臣、運輸大臣、国土庁長官、北海道開発長官をいっぺんに拝命したみたいなもんだ、と言うので、そのカバーするエリアのあまりの広さに仰天。

これはやはり驚天動地の人事でしょう。主人をここに据えることが意味するところはただひとつ。行革相として決定したことを実行に移し、いままでの悪しき慣行に基づくシステムをすべてぶっ壊せ、という総理からの強烈な指令だ、と頭の中は “?” と “!”で一杯。嬉しい、というのには程遠く、さあ、大変だー、えらいこっちゃー、というのが未だ続いている実感です。

そして実際、生活はさらに忙しさが増し、本当に大変、大変。人間というのはいくらでも忙しくなれるのだなあ、と妙なことに感心する始末。あれもこれもでぐちゃぐちゃな所にもってきて、もうすぐ4歳になる息子が、いただいたお祝いの鉢植えのダンボールを積み重ね、色を塗ったり、窓を開けたり、紐のカーテンをつるしたりして、ボクのおウチ、と撤去を許してくれず、それが各部屋に点在し、ちーっとも片付かない。

こういった日常のごたごたはさておき。総理から、もっと働け、と大きな役目をいただいたわけですから、主人も体力知力の限りを込めて、さらに公務に励むことと思います。

ただ! 政治家はもうすぐ免許の書き換えの時期を迎えます。いままでとは違い、今回は、主人も地元ばかりではなく、日本中を飛び回ることになるのでしょう。そうなったら私、いったい何をしたらいいのか。代わりに話せ、と言われても、私は本人ではない訳だし。皆様、どうぞお力をお貸しください。

ちなみに主人から皆様へのお約束は以下のとおりです。

いまこそ現実をしっかりと見つめ
子供たちのために
無駄を省いて効率の良い日本を再建します
もう無駄な道路はつくりません
改革への強い意志を持って闘います

●妻より(平成15年7月)

最近の電化製品の進歩は、著しいものがあります。それでも、そこそこついていっているのじゃないかしらん、なーんて自負していましたが、やはりぜんぜんだめでした。

パソコンを新しくしたらこれが全く稼動せず。

インターネットがつながらないのはもちろんのこと、まあ、とりあえず、明日また考えようと思いきや、電源も切れず、コンセントを引き抜く始末。(要は電源スイッチを5秒間ほど押し続ければよかったのですが、せっかちなもので。)翌日足りない部品を買いに渋谷の電気量販店に行きましたが、私は何をしに来たの状態で、店員のお兄さんに聞いてもちんぷんかんぷんで用なさず、結局またその晩、頭をかきむしっていたら、主人がみかねて、プロを頼んでくれました。...敗北感。でも、プロも苦戦してました。みょーにうれしかった

前のパソコンは、機能を知悉していて良かったのですが、デジカメのメモリーが直接入らないと言ったら、えらく馬鹿にされ、ならば、と賢いプリンターを購入したところ、今度はプリンターが賢すぎて、我が家のパソコンには荷が重くなってしまったらしく、フリーズしまくり、アウトー。7年間、よく働いてくれました。役目を終えたパソコンは、今では3歳の息子相手にゲーム専門の第2の人生を歩んでます。でもいまどきの3歳って、マウスを自在に扱っちゃったりするんですよね。やだなあ。

パソコン相手に夜中、ぶつぶつ独り言を言いながら、作業をしていると、お台所のシンクの方から、ごぞぞぞぞ、ぐぞぞぞぞ、という不気味な音。まさか、ごきぶり?よもや、ねずみなんてことは?と、びびりながらいろいろ覗いてみても、何も見えず、それでも次の晩になるとまた、ざわざわしょわしょわ。

どうもこれは浄水器か、と電気屋さんに来てもらったところ、案の定、老朽化していて機能を果たしていないので、即、交換とのこと。怪音はパイプのつなぎ目から水が漏れていた音で、シンクの下、水浸し。水道屋さんを呼ぶ。直ったところで、今度ははがしてしまった板を張りなおすのに、知り合いの大工さんにお願いして、来ていただく。この間の金銭的、時間的ロスの大きいこと!

前にも書きましたが、我が家は建売住宅で、しかも、建てた会社も、売った会社も、もはや存在しないので、トラブルが生じても、文句を言う相手も居ず、大変です。私が小さい頃は、大工さんやら、電気屋さんやら、何かしら器用な人が居て、なんでも一気に直してくれたような気がしますが、今って細分化されていて、それぞれ専門家を手配しなければならず、挙句の果てに、ちょっと古いと部品が生産されていないの、なんの、と言われて新しい物を購入する羽目になり、いささか不愉快。だから便利屋さん、なんて職業がはやるんでしょうね。でも、友人が便利屋さんを呼んだら、さんざん恩にきせられ、しかもなかなか帰ってもらえず、怖い思いをした、と言っていたし、これも嫌だな。

やはり、自分で何とかするのが一番確実か。初歩的電気講座、大工一週間見習い研修会、なんてのがあれば、喜んで参加しますが。ついでのこと、植木職人即席講座、とか、三日間であなたもできる室内リフォーム教室(含む壁の塗り替え)なーんてあったら良いな。芸は身を助く、ってね。え? 楽して身につけられるわけないって? はい、ごもっともでございます。

●妻より(平成15年4月)

東京都民の皆々様方、この度の都知事選挙におきましては主人の父に温かいご支持、ご支援を賜りましてありがとうございました。

私も父の街頭演説にほぼ毎日顔を出し、父の訴えはもう暗記できるくらいになりました。そして、東京の悪い空気を一日も早く良くして貰いたい、と切なる思いを込めて一票を投じました。ガンバッテオクレヨ、オトウサン。

ウチの家のまわりの空気の悪さったらなくて、その大きな原因の一つが近所のマンション予定地。30階建てのマンションを造る、(高さ100メートルだって!)とのことで私たち家族が大好きだったイチョウやら桜やらをばんばか切った挙句、出入り禁止の更地にしたまま早、一年。その土ぼこりの凄さと言ったら、風の強い日には洗濯物も干せないほど。ウチは五日市街道と井の頭通りの、抜け道の途中に建っているので、渋滞中の車の排気ガスとその土ぼこりがいっしょくたに混ざり合って朝なんて、大変。
家の前で警備して下さっているお巡りさんが喘息にでもなったら、どうしてくれるんだ。

父が500mlのペットボトルに入れて振っていた微粒子をテレビなどでご覧になった方も多いかと思いますが、これが東京で一日、12万本もディーゼル車によって、大気中に撒き散らされている、との事。しかもふたをきっちりと閉めて、セロテープで封をしたそれは17日間の選挙活動の間に半分に減っていました。つまり、厳重な封をすり抜ける位の微粒子な訳ですよね。

こんなものを毎日吸って生きているわたしたちの健康はどうなる事やら、恐ろしや。父はこの問題を、軽油に含まれる硫黄分の規制を行わない国の責任と考え、この問題で国を提訴する、と言っておりました。

この硫黄分の規制、日本では1リットルあたり500ppmまで許されるのに対し、ヨーロッパでは 50ppm、特に進んだ地域では15ppmまでにしているそうです。私共の事務所でも、選挙カーがディーゼル車でしたので、この度、清水の舞台から飛び降りて、これをガソリン車に替えます。大変なんですよー、普通の白い車をあの選挙用のハデな車に塗りかえるの。(;_;)

とにかく、生活が多少不便になっても構わないから、この公害、何とかなりませんかねえ。そう思っている人きっと多いんではないかしら。今日、道ですれちがった人がヒョウ柄のマスクをしているのを見て、マスクももはや日常的な装着品と化したか、と危機感を覚えてしまいました。

ともかく。統一地方選挙、前半戦が終り、308万票を頂いた父はやる気満々、無事、2期目の初登庁をさせていただきました。

そして始まった後半戦、只今は市区町村の選挙のまっ最中です。この原稿がアップされている頃には結果が出ていることでしょう。

選挙初日の日曜日が異常に寒くて、冷たい雨がふっていたのですが、私は前日までの小春日和にだまされて、春ものを着て出て行き、一発アウト―! 選挙ってマイクを握る時、なかなか傘をさしにくいのです。だって、支援者の方達が雨の中、わざわざお家から出てきて寒い思いで話しを聞いてくださっているのに、お願いする方が片手に傘ではどうにも格好がつかないじゃありませんか。ぬれそぼって、同情ひこうとして、という見方もあるだろうけど、ま、少なくとも私的には、つまんない話聞いてくれてすみません、の姿勢です。でもそれで芯まで冷えて、夜から熱出し、2日間寝込み、挙句、その風邪を昨日から主人にうつした責任は痛感しております。寝込むわけにもいかない主人は、可哀想に早起きして点滴に行きました。めんごでした。

主人と二人でマスクをして、不在者投票に行ったら、途中で会った知り合いの方がギョッとして、えっ、日本にもSARS上陸!?何か極秘情報入ったの??と言うので、ただの風邪です、と言ったのですが、 またまた!自分達だけ助かろうとしちゃって、ダメだよー! とか言われちゃいました。口調は笑っていたけど、目は真剣だったなあ。明日から浜田山商店会で買占めが起こったら私達のせいかも。

もっとも今や狭い地球です。対岸の火事と楽観はできませんね。いずれにしろ、天候不順で、しつこい風邪が流行っているそうです。一日数度のうがい、手洗いを励行して下さいませ。

◇ppmとは
ppmとは、Part Per Million の頭文字で「100万分の1」のことです。例えば、硫黄分が1ppmの燃料であれば、0.0001%の硫黄分が含まれているということです。また大気中の一酸化炭素が2ppmであるといえば、1立方メートルの大気中に2ミリリットルの一酸化炭素があることになります。
◇ 浮遊粒子状物質(SPM)
大気中に浮遊している微粒子の内、粒子の直径が10m(1m=0.001mm)以下のものを浮遊粒子状物質(SPM)といいます。自然界でも発生していますが、近年は特にディーゼル自動車や工場などから大量に排出されるため、健康への悪影響が心配されています。特に、ディーゼル車の排気ガスに含まれる浮遊粒子状物質は、肺がんや呼吸器系の病気、また花粉症との因果関係が指摘されています。
◇軽油に含まれる硫黄分について
軽油に含まれる硫黄分は直接的には、燃料が燃えたとき硫黄酸化物となって空中に出され、酸性雨などの原因となります。それとは別に問題なのは、硫黄分が高いと排気ガス中の微粒子を減少させるための装置が目詰まりを起こし破損してしまうからです。軽油については現在、1リットルあたりの硫黄分を500ppm以下とすることが定められています。2005年からはこれが50ppmになります。またその先駆けとして2003年4月から一部で50ppmの低硫黄軽油の供給が始まります。アメリカでは現在500ppmですが、一部では2006年に、また遅くても2010年には15ppm以下にされます。またヨーロッパでは現在350ppm、2005年からは50ppm、2009年には10ppmと定められていますが、ドイツでは税制優遇により既に実質10ppm規制が行われています。
◇東京都のディーゼル車排気ガス規制について
東京都では平成15年10月から開始され、新車登録から7年を経過したトラック、バス対象に厳しい排気ガス規制が導入されます。規制値を満たさないディーゼル車には、より低公害な車への買い換えか、都が指定する粒子状物質減少装置の装着が必要となります。これら規制導入の動きに隣接の埼玉、千葉、神奈川県も続き、平成15年10月からは首都圏全域において、規制値を満たさないディーゼル車の運行が禁止されます。
東京都ディーゼル車規制総合情報サイト
http://www.kankyo.metro.tokyo.jp/jidousya/diesel/

●妻より(平成15年2月)

明けましておめでとうございます。

思うに政治を生業としている人間ほど、この言葉を連発する人間て他にいないのではないでしょうか。私なんて一月が終わらんとしている今、もう5000回位おめでたがっているし。なにせ私の出動回数は1年のうち1・2月が一番多い(除く選挙時)。内訳は各種新年会。各種団体・組合・商店会・老人会・趣味・スポーツの愛好会から、単なる仲良しグループのお集まりまで、ありとあらゆる所が新年の集いを開催されているので、そちらにお邪魔させて頂く。よく来たねぇ、という所から何しに来たのという所まで参上。やはり選挙の時だけのお願いじゃなかなか人間関係なんて構築されず、普段からこういうお席でご一緒させて頂いて諸々のお話をしたり、されたりが相互理解に結びつくのだと私共は考えております。

また、ウチの主催の初詣旅行会も毎年恒例でありまして、今年は静岡の浅間神社までバスを連ねて総勢1500名様。お一人お一人にご参加へのお礼も申し上げたいし、新年のご挨拶もしたいし、なんてお辞儀を2回ずつしたって3000回+αでしょ。で、やはりと言うか、とうとうと言うか、やってしまったギックリ腰。ただ、今年のは幸いにして昨年ほど酷くなく、ホフク前進ではなく二足歩行で鍼まで行けました。カイロを4つ貼り、ごっついウェストベルトを装着したら、入るスーツがあまりなく、毎日同じ格好で新年会に出ておりましたら、昨日主人がブ然とした顔で帰ってきて、ある方に「オクサン、いっつも同じ服装で可哀想だから、たまには服でも買ってあげたら」と言われたとのこと。ふふっ、ご心配頂けて嬉しい限りです。早速買ってもらわなきゃ。

新年会における私の仕事は、主人の代理のご挨拶。実はこれが滅法難しい。短いのがベストなのは当然として、しかしあまりに短かすぎ、用件のみだと義務果たしましたーみたいでカンジ悪い。かと言って私が政治やっている訳でもないので、ガンバリます、と言うのも景気の話をするのも筋ではないし、いっその事主人のメッセージを代読、と思うとこれはインパクトが弱いと不評。そうやっていろいろ考えていると何もかも適当ではない気がして立ち往生してしまう。マイクを持つのはいつまで経っても慣れません。カラオケも苦手だし。

それにしても政治家というのはよく喋る。主人なんかも聴衆が乗ってくれればいくらでもOK。あれは政治家だから話すのが苦じゃないのか、話すのが好きだから政治家になったのか。主人の母に聞いてみたら、昔からノブテルはおしゃべりで、聞いてあげないと今度は“つまらない、つまらない”を連発するのでそんなにつまらないなら押入れにでもつまってなさいと叱ると、そこは素直な子でよく一人で押入れにつまってたわよとのこと。・・・妙に納得?

●妻より(平成14年11月)

光陰矢のごとし、ラスト・アップデイトから早、3ヶ月が経ち、季節も変わり、小泉内閣の組閣も終り、国会も再開。新任大臣だった主人は、留任の可能性など思いもせず、さっさと大臣室の私物をダンボール箱に詰め込み、さてはて友人議員から戴いたサンドバッグは自宅に置こうかスペースが無いか、等と考えつつ、スタッフと遅い昼食を取っていたところ、首相官邸から連絡が入り、慌てて官邸に駆けつけたところ、総理より、引き続きもっともっと打たれてくれ、とのお達しがあったそうです。そうなってみれば、一年5ヶ月の間、後退したの、ひよったの、とバッシングされる中、尺取虫のように少しづつ前に進め、まとめてきた46本もの法案を自分の手で通せるかもしれない、という喜びはひとしおで、悲壮感あふれちゃうくらい張り切っております。初心忘れず精進しておりますので皆様、引き続き宜しくお願い致します。ちなみに女房の目から見ますと、主人は確かに若輩、力不足の観もあるやもしれませんが、一生懸命頑張っています。政治家の言い訳は許されないものなのでしょうが、それでも敢えて言わせて頂きますと、カッコ良い事をぶちあげて目立つのも一つの方法でしょうが、日本が議会制民主主義である以上、多数決の賛成をもらえなければ、法案は成立しないわけです。

そもそも良い法案、悪い法案の定義づけが難しい。内容だけ見れば全てにおいてオールマイティーで、どこから、誰が見ても夢のようなすばらしい法案も、それが実現不可能であるなら「悪い法案」なんですね。所管の担当大臣としては内容と同時にその法案が最短距離で実現できるという意味での「良い法案」かどうかを吟味しないといけないわけです。私とて一国民として、なんとかしろー、と新聞見ながら怒っている一人ですが、主人のいじましいながらも真摯な努力を日々見ておりますと、地道にガンバッテネ、というしかないのかな、と。大変なんですよ、主人の父からは、いーから、ぶっこわせ―!! なんて電話がしょっちゅうかかってくるし。

その組閣の当日、9月30日は主人の父の誕生日でした。4人息子のいる石原家は、なかなか家族全員がそろわないのですが、この日だけは兄弟持ちまわりの幹事制にして、無理やり集合をかける。今回は3番目の弟が幹事でした。主人は当然ながらドタキャンでしたが、二週間前に結婚したヨシズミさんのお嫁さんが初参加。父が、なんだ、今日はオレの誕生日じゃなくてヨシズミの結婚報告会だったのか、といじける程、主役が食われていました。とにかく若くて元気なお嫁さんで、ヨシズミさんに 喧嘩したら大変そうだね―と言ったら、ボク達ケンカなんてしないもーーん、だって。ごちそうさまでした。ケーキのろうそくを吹き消す前にプレゼントタイムとなり、幹事が、それではまず伸晃兄貴のところから、と言い、今日はばたばたと忙しくて、と言ったら、そんなもの予め用意しておくものだ、と父にしかられる。 本当は昨年贈ったポロシャツを、安物、とそしられたのを根に持っているだけなんだけどね! さて来年はどうしようかな? どうせ何を持っていってもセンスの良い、素敵なまきこおばさまの選んだものにはとうてい太刀打ちできないし。

そんなこんなでベビーシッターさんの時間もあるし、とお先に失礼して帰宅すると、主人がおつまみも無いまま、数人でワインで乾杯していました。自分だけ御馳走をたらふく食べてきたのでうしろめたく、早速冷蔵庫を物色して、あるもの大放出。そのうちどんどんと人が増えて、御近所迷惑のどんちゃん騒ぎになり、解散二時。翌週の資源ごみの日にはワインやらシャンペンやらのボトルを14本出す始末。挙句の果て、三歳のチビが三時に、もう朝?オハヨーと起きてくるわ、で。 あくる日が都民の日で、娘の学校が休みなのが救いでした。

●妻より(平成14年7月)

石原里紗

略歴
1963年:
東京都荻窪の衛生病院にて生まれる
旧姓名:
田中理佐
1968年:
聖心女子学院付属幼稚園入学
1970年:
同初等科入学
1971年:
父の転勤に伴い、イギリスへ
  1. St.Edward's School
  2. Holy Trinity School
1975年:
父の転勤に伴い、オランダへ
  1. International School of A'DAM
1977年:
立教英国学院中等部2年転入(在 イギリス)
1982年:
同高等部卒業 受験のため帰国
1982年:
慶応義塾法学部政治学科入学
1985年:
TV朝日CNN ニュースキャスターとして、金曜日の枠を担当
1986年:
TBS テレビ小説 朝の夢 ヒロイン役でドラマデビュー。NHK連想ゲームレギュラー。花王ファミリーフレッシュCF など、そこそこ順調
1987年
4年をダブって慶応大学卒業
1988年:
日本テレビ勤務の石原伸晃(30歳)と結婚。石原の立候補と妊娠により、女優業はなんとなく自然消滅
1990年:
石原初当選、長女誕生
1993年:
長男誕生
1994年:
先天性動情脈漏にて二度の大手術も空しく長男生後5ヶ月で逝去
1999年:
次男誕生。現在に至る
資格
車、船、英語検定1級(1984年文部大臣賞)
趣味
読書(とにかく乱読、量だけは誇れる)。ゴルフ(大好きだが、なかなか余裕無く、行けない)

今回は改めましての自己紹介、と申しますか私のプロフィールを書かせていただきました。なぜかと言いますといろいろな理由があるのですが、まずは代議士の妻という立場が、見えそうで見えない、あるいは見えなさそうで見える、非常に中途半端なものだからです。つまり、○●△男の家内であるという一歩も二歩も下がった立場でありながら、会合に出席すれば諸先輩を尻目にずいずいと前に行き、挨拶するのが仕事、という目立つんだか目立たないんだか、表に出るべきか裏に引っ込むべきか自分でも良く分からない、というのが私の仕事なわけです。つまるところ端的に言ってしまえば、“あいつ何者?”と人様から思われ易い所に位置しているらしい。私的に言わせてもらえば、別に仕事や収入があるわけでもナシ、なんでも宜しいようなものですが、やはり憶測に基づいた事を言われるのも気分良くないので、だったら隠す事も無し、この場をお借りして、と思い立った次第です。

実際さまざまな事を言われます。つい先日も主人の父に、「ある人に御長男の奥さんは花柳界の出身ですか、と聞かれたよ」と言われ、父は笑っていましたが、私にしてみればコメント返せず、です。何が苦手って正座が一番ダメ、な私がねえ。

それからよく言われるのが学歴詐称。結婚するときに「理佐」では石原とは字画が合わない、と主人の母に言われ、それでは、と、「里紗」という字に変え、3年間かかって家庭裁判所で名前変更手続きをし、11年前正式に戸籍も変更しました。そうすると卒業名簿の名前が違うわけです。あげくの果てに、父の仕事の関係で5回転校し、幼稚園から(今は無いけれど、私の一学年下まであったのよ)初等科二年までいた聖心女子学院、中高お世話になった立教英国学院(イギリスの片田舎にある全寮制の立教の姉妹校)、大学の慶応義塾、と、それぞれに思い入れや愛校心があり、関係者にお会いすると、あー私もOGなんです!、なんて軽く言っちゃうものだからますますややこしくなるわけです。言っている本人がややこしいんだから聞いている方はますますもって怪しいわな。

7歳から18歳の大学受験で日本に帰ってくるまで11年間ヨーロッパに住み、とにかく自慢できることといったらその間に培われた雑草のような順応力。なにせイギリスに行って、最初に住んだ村なんて有色人種がウチしか居なくて、ほとんど未開国人扱い。ここの人種差別はハードだった。その後も10歳やそこらの子供に太平洋戦争の責任を問うな、あなたを捕虜にしたのも、親戚の人を殺したのも私ではない、と叫びたいような理不尽なメにいーっぱい遭いまして、したがって、えー、帰国子女?かーっこいい! みたいなノリにはついていけないし、1、2年外国ですごしたからってその国の事語ってしまう、などという事もできません。

国と国の間には深い境が歴然として存在していると思います。もちろん相互理解は成り立つし、愛も友情も育つでしょう。私にも外国人の親友がいます。でもあくまでもそれぞれが自分のアイデンティティをしっかり持っている事が前提なのではないかな、と考えます。私は日本をこよなく愛しているし、日本人であることにプライドを持っています。その上で、長い時間をすごしたイギリスやオランダを息苦しくなるような懐かしさ、いとしさで思い出します。雑草的気質を育んでくれたのはヨーロッパの厳しい空気ですが、あくまでも根っこは日本に生えている、ってところですか。

この愛国心が何の根拠も無い、感傷的なものに成り下がらないよう、政治に携わる人たちには日本を世界に誇れるような国にするべく国造りをして欲しい、と切に願っています。本当に本当に熱望しています。(伸さん、聞いてる?!)

今回極めて真面目な内容になってしまいましたが、プロフィール記載外の特徴として、みかけより真面目、と付け足しさせて下さい。

●妻より(平成14年2月)

政策秘書から、そろそろ‘妻の目’の更新時です、と言われ、はいはいと逃げる事10日間、督促が携帯にまで入る様になり、ようやく机の前に座りました。

主婦って実はすごーく忙しいんですよね。朝6時に起きて娘を学校に出し、主人が国会に出かけ、息子が起きてきて、その間お洗濯でしょ、植木に水あげて各部屋ベッドメイクして、埃と花粉をやっつけて、立ったまま朝ご飯を食べ、息子に愛情こもった朝ご飯作って、あげて、かたづけて、散歩へ。

息子の成長を喜び、躾がなっていないかなと落ち込み、帰って来てお昼ご飯作って、あげて、かたづけて、今度はお買い物。そうこうするうちに娘が帰って来ておやつ。

お稽古に出し、夕飯作り、お風呂お掃除してお湯張って夕食。作って、あげて、かたづけて、子供達お風呂に入れて寝かしつけて9時。息子の食物日誌(アレルギーの先生に提出するのです)つけて、頂き物のお礼状書いて、主人の背広アイロンかけて。そしたらもう体力使い果たしていてばたんきゅーですよ。主婦が三食昼寝付、なんて言っている人は余程手抜きしているに違いない。

ちなみに昼間出掛ける時には、上記の作業をどこかで倍速に処理し、時間を無理やり捻出するわけです。

で、本日私は朝から、夕飯まで作ってから息子をベビーシッターさんに預け、初午に行って参りました。御存じですか? はつうま。これは二月の最初のうまの日にとりおこなわれるお稲荷様のお祭りです。稲荷神社のお正月、と聞かされたこともあります。鳥居をおまつりしているお宅が、お稲荷様の飾り付けを全部新しくし、ご神事をし、そのあと御一族、御一統でおあげやめざしを焼き、(きつねの好物ですね!)おもちをついたりしてお祝いをされる。そこにお邪魔をさせて頂くわけです。友人達に言ったら、それどこの話? と言われましたが、主人の選挙区、東京は杉並の話です。

感心するのは日本の家がうまく出来ている、という事。障子やふすまを開け放つことによって八畳が十六畳になり、なおかつ廊下などを使う事によっていくらでも人数が収容できる様になる。これはすごい。そしてもっと感心するのは奥様方がちゃーんとお赤飯を炊き、煮物を作り、おあげやめざしをぱたぱたと仰ぎながら七輪で何枚も何十匹も焼き、そしてなおかつ疲れた顔一つ見せず、にこやかに対応なさっている事。私にはできなーい!!

初午に行く度に私は“日本の母”を目の当たりにし、主婦業は24時間勤務でえぐい、などと偉そうにのたまっている自分を省み、恥ずかしく思う次第です。でも、去年主人にそう言ったら、今年の初午の日程、去年の倍位あって、タレント並のタイトスケジュールだったのですが・・・。これはやっぱり私に自省を促そうという主人の陰謀だったのかな?

初午(はつうま)の由来
一般に稲荷の祭日として知られています。
旧暦2月の最初の午の日を言い、京都の伏見稲荷をはじめ各地の稲荷神社で盛大な祭りがとり行われます。
稲荷大神は農業神であり、稲荷神の信仰は農耕を司る倉稲魂神(うがのみたまのかみ)を祀って五穀豊穣や福徳を祈願するものです。
「お稲荷さん」と言えばキツネのイメージが強く、油揚げを供えたりする風習がありますが、キツネはあくまで稲荷大神のお使いで、神様そのものではありません。

●妻より(平成13年10月)

憎むべきテロ事件の犠牲者の方々に心からのご冥福をお祈り申しあげます。

ドッグイヤーのこの御時世に四ヶ月もホームページの更新を怠るのが非常に怠慢であることは承知しつつも、毎日の計画を立てる間もなく次々と目の前に襲い来る物事に対処しているだけであっと言う間に今年も残り二ヶ月となってしまいました。真面目に日々少しずつでも何かを積み上げて行かなければ、人生、砂の様に指の間からこぼれおちてしまいそうです。うー、焦る、焦る。でもこの間、“腰痛は必ず治る!!”という本を熟読してストレッチ体操に毎晩励んだ結果、調子はまあまあ。また、もののついでで筋トレなどもしてみた結果、今まで無かった力こぶが出現したりして気をよくしています。そうなると弾みがついて事務所へ行くのにもリュックを背負って主人のサイクリング車で出かけたりし、肉体改善計画は徐々にではありますが着々と進行中。ただ、主人がアウト。

大臣は昨日は五時間、今日は七時間と国会でひたすら座っていなければならないそうで、その間トイレも私語もNG。昨日竹中大臣と株価について囁きをかわしていたら、国会対策委員長より、“ひな壇でのお喋りは慎むように”とメモが回って来て、小学生の頃を思い出した、と頭を掻いていました。でも、トイレより私語より困るのは、この一日の内の何分の一かを過ごす椅子が大変なアンティークものだという事。昭和23年(第一回国会)からそのままのものもあり、当然何年かに一度買い足したり張り替えたりはしているものの、人間工学を全く無視した構造のようです。日本人の平均身長が今よりずっと低い頃のもの故、とにかく幅が狭く、背もたれの位置が九十度以下、クッションがぶかぶかしていて、しかも真中が激しくふくらんでいるそうで世にも座りにくいシロモノ。国会内の建材は全て国内産、というのが当時の売りだったそうですが、本会議が終ると大臣達は腰が痛くてまっすぐ歩けず、ナナメになって退出するとのこと。

そんな苦痛を我慢していないで、椅子ぐらい替えて貰うようお願いしたら、と申しました所、国のお金を自分たちの待遇改善の為に使うようにはなかなか言えない、と申します。

獲得予算の余りを消化する為に年度末に慌てて道路をほじくり返して要らない渋滞を招いているお金があるなら椅子を買いかえればいいではないか、と私なんて単純に思いますけどね。

まあ、大切な血税を大臣達の腰椎保護に遣うのが有効か否かの議論はさておき、とにかく主人は一生懸命です。

週の内は本会議と特殊法人改革のお尻たたきに血道を挙げ、週末になりますと小泉内閣の看板イベントのタウンミーティングの為、地方へ。小泉総理の施政方針を直接訴え、また、地方の生の声を吸い上げて行こうと奮闘中。そしてその際に各地のこんなものイラナイ、誰が使うの作ったのシリーズを見聞し、毎回驚きあきれて帰ってまいります。いろいろ調査し、視察を重ねて行くうちに、危機感は高まり、このままでは日本は立ち行かない、と寝ていても焦燥感にかられるという始末。だんだん顔つきまで悲壮になってきたのでいささか心配になり、三日に一度、のぶてるどーしてるコールをかけてくる慎太郎父に言ったところ、男子たるもの、そういう時期があっていーんだっ!!とのお言葉。さいですか。さいですね。

先日成城のまき子叔母と話しをしていた時のこと。のぶてるはあの閣議というのは出ないの? とのこと。閣議とはニュースで正面に総理がいらして左右を扇大臣、塩川大臣などがかためているあれですが、たしかに主人は見えないんです。でも本人曰く。一番手前にちゃーんとおります。その証拠に総理退出の時、お辞儀している僕の鼻先だけはしょっちゅうカメラの隅に映っている、とのこと。

どうぞお時間おありの方は見てみて下さい。
そんな暇な人いないか。

●「週間女性セブン」インタビュー(平成13年9月6日号)

聖域なき構造改革。中でも特殊法人の見直しは、小泉首相の推し進める改革の目玉だ。いままで累計240兆円もの莫大な国民の資産(年金、郵便貯金、簡易保険)が注ぎ込まれ、無駄な公共事業や官僚の天下り先として何かと問題視される特殊法人。民間の会計基準の試算によると、300兆円もの途方もない赤字を抱えているという。先月末、首相は「全特殊法人は廃止・民営化を前提に検討する」と、徹底的に改革のメスを入れることを表明した。

その改革を陣頭指揮するのが、石原伸晃行政改革大臣、今年44才の若き大臣だ。その大臣を支える里紗夫人(38才)を東京都杉並区の自宅に訪ねてみた。紺色のワンピースに身をつつんだ里紗夫人は気さくに迎えてくれた。

守旧派と闘う大臣の元気のもと

今年4月小泉首相から石原氏に行政改革大臣をやってくれないかという打診があったとき、夫人はそれを車の中で聞いたという。

「いつになく深刻な声で主人から電話がかかってきたんです。“いま総理から電話があって一緒に改革をやってくれないかいわれた”というんです。当選から11年、自民党の中で発言すればするほど反主流派になっていく主人を見て、一生アンチだなと思っていたので仰天しました。主人に“モーニングにアイロンをかけておいて”といわれて、我にかえりました、主婦ですね」

と、笑う里紗夫人。アイロンをかけていたら地元警察がポリスボックスを設置したいと訪ねてきて二度びっくりしたという。

「我が家は、土地30坪、ローン30年のつつましい建売住宅です。そのようなご大層なものをおくスペースはないんです。じゃあ、やめましょうというわけにいかなくて、結局、玄関に無理やり押し込んでいただきました。小学5年生になる娘(佐知子ちゃん、11才)が行革担当大臣と聞いて“ぎょかくだいじん?お父さん、お魚の大臣になっちゃったの?”と、いったときは思わず笑っちゃいました。行革を漁獲と勘違いしてしまったんです」

建て売りとおっしゃるものの、すてきなお宅のインテリアは白と白木が基調。1階はキッチン・ダイニングとサンルームに和室。ベージュ系のシステムキッチンは清潔そのものだ。鍋やフライパン類もきちんと収納され、見えるところに余分なものは一切、出ていない。

「家族の食事時間がばらばらなので、1日に最低でも7回はキッチンに立ちます。多い時は12〜13回かしら。普通は朝6時に起床。6時45分に娘が学校へ行くのでそれまでに食事の支度と娘の世話をします。それから主人の食事です。朝食のメニューはリンゴ1個とニンジン2本をジューサーで搾ったものとトーストにコーヒーです。ジュースが健康のもとみたい」

行政改革の先頭にたつ石原大臣は特殊法人を所管する各省庁に対し、9月3日までに各法人の廃止・民営化が可能かどうか検討したうえ、その結論に理由を添えて回答するように求めている。既得権益を守ろうとする族議員や官僚たちとの闘いは熾烈なものになるに違いない。リンゴ・ニンジンジュースが大臣のやる気と元気のもとなのだ。

14年前のプロポーズの言葉はちょっとキザでした(笑)

ふたりの出会いについてたずねてみると、

「主人が30才、私が24才でした。主人の弟が俳優(石原良純さん)なのですが、彼のガールフレンドと私が仲のいい友達だったんです。3人で食事をしたとき、良純さんが“兄貴がくすぶっているから呼んでやろう”と主人を誘ったんです。それが初めての出会い。第一印象はなんて素直で裏表のない人かしらということでした。一緒にいてとても楽な気持ちでいられます。主人はどこへ行っても何をしても誰に対しても態度が変わりません。そんなところが自然と好きになりました。交際中の笑い話ですが、私は女優をしていたのですが、主人には話していませんでした。売れない女優でしたから(笑い)。当時、主人はテレビ局に勤めていましたが、たまたま見ていた番組に私が出ていて驚いたなんていうことがありました。お金のないカップルで1杯ラーメンをふたりで食べ、タクシー代がないので歩いて帰ったりしていましたが、それでも楽しかったんです」

1月に出会い、6月に婚約。9月には結婚という大臣と里紗さん。プロポーズの言葉は、

「?ぼくはヨットみたいなものです。フラフラ、フラフラすると思うけどついてきてくれますか?”というキザなものでした。主人、時々、キザになっちゃうんです(笑い)」

石原伸晃氏は周知のごとく石原慎太郎氏(作家・現東京都知事)の長男。叔父はあの石原裕次郎さんだ。石原家に嫁ぐことをどう感じていたのだろう。

「私、いまだにそうなんですが、昔から有名人音痴なんですよ。主人の父が衆議院議員(当時)だという意識はなかったんです。帰国子女だったものですから石原裕次郎さんの人気や騒ぎも知らなかった。ただ、私の父が結婚に最初反対したとき、初めて石原家を意識しました。その父も伸晃さんに会うと納得してくれました」

と、当時を振りかえって屈託なく語ってくれた。それでも石原家の長男の結婚は世間の注目を集め、大きなプレッシャーを感じたに違いない。

「結婚式は知らないうちに大ごとになっていたようです。石原プロがすべて仕切ってくださいました。石原プロの小林専務が悪気ではなく、花嫁は関係ないというようなことをおっしゃったらしいのですが、それを聞いて、逆にすごく楽になれたんです」

実際石原家の嫁になってみるとどうだったのだろう。

「地味ですよ。石原プロの渡さんや舘さんがわが家をたずねていらっしゃるわけではないですし、まき子おばさまもえらぶらなくて普通のかたです。父(慎太郎)に対しても、みんな、お父さんは変な人だから、みたいな感じです(笑い)。たしかに父は変わったところがあるかもしれませんが、実は普通の人以上に普通だと思います。階級や社会的地位で人を判断しない。大会社の社長も隣の魚屋さんも同じなんです」

お幸せな結婚ですねとたずねると、「はい」と照れくさそうに里紗夫人は笑う。

「子供の悩みでも主人に相談しています。私が帰りを待ち構えていると、どんなに忙しくても必ず時間を割いてくれます。すごくエライと思います。主人は子供にはベタベタで、いまでも11才の長女と一緒にお風呂にはいっています。少林寺拳法を学んでいたので下の男の子には武道をさせたいといっています」

夫婦としての会話は多いほうだという里紗夫人。政治について話し合うことも多いという。

「日常、主婦として感じたり体験したことを素直に主人に伝えるようにしています。たとえば5年くらい前まで選挙のために投票所に行くと、投票者本人しか投票所にはいれませんでした。乳母車を押していった私が子供を抱いて投票所にはいろうとしたら、中にいた女性に“本人だけです”と入場を拒否されました。乳母車を外に置いていって子供に何かあったらどうするのでしょう。その女性と大ゲンカしてしまったのですが、そのことを主人に話したとき、“投票所に臨時託児所を設けたり、方法をかんがえないといけないな”といっていました。最近、この問題は改善されたのですが、主婦である私は一般市民として困ったり、変だと思ったりしたことを主人に素直に話すようにしています。主人が視察で行っても普段の様子はなかなかわからないはずですから、私や娘が見たり感じたりすることを伝えることは意味があると思うんです。主人は真剣に私たちの声を聞いてくれます。そんな主人を応援したいのです」

食物日記をつけ長男のアトピーと闘う日々

政治家の妻として、2児の母として忙しい里紗夫人。36才でマル高出産した伸武也くん(1才10ヶ月)がアトピーのため、その食事作りには苦労しているという。

「アレルギー検査を見てドーンと落ち込みました。強度の卵、大豆、小麦、米アレルギー。これって一体何を食べさせたらいいのって感じでした。それからいろいろ情報収集しましたが、結局は無駄なものを省いて部屋の中を風通しよくし、布団は太陽に当てて外食をつつしみ、インスタントは使わずに日本古来の材料を吟味してシンプルな食事をとるように心がけています。主人は息子と一緒にみんなで健康生活に突入だねと笑いますが、いま、何らかのアレルギーをもっている0才から9才の子供は全体の40.9%にも達しているのだそうです。まさにアトピーは現代病です。父は“東京の空気が悪いのが諸悪の根源”と都知事在任中にディーゼル車規制を含めてなんらかの処置をとろうとしています。
子供をもつ親として環境問題について真剣に考えずにはいられません」

ちなみにその日の伸武也くんの夕食のメニューはカレイのバターソテー。合びき肉とタピオカ粉を煮詰めてカブに詰めたもの。サクサク粉(アトピー食)と粟、麺をあわせたもの(お米がわり)。鳥ひき肉、しいたけ、ニンジン、コブでだしをとったスープだった。

「アトピーは母親がさぼってしまうとすぐ外に出てしまいますから怖いですよ。主治医の先生の指示で食物日記をつけています」

里紗夫人に石原家の子育てについて聞いてみた。

「『人の不幸は蜜の味』という言葉がありますよね、石原家の人間にはそれがないんです。義母は自分のためより人のために一生懸命になれる人です。ですから子育てで気をつけていることは2つ。1つは人の悪口を言わないこと。もう1つは目上のかたは目上のかたとして敬う。あとはできるだけ自由にを心がけています」

大臣の妻として、母として仕事のつきない里紗夫人。一日24時間でも足りないのではとたずねると、

「それは主人も同じです。主人は毎日会合のはしごなので、帰宅が大体12時ごろ。夕食もすませてないことが多いです。先に寝てていいよといってくれるので、疲れているときは、下の子と9時半くらいに寝てしまうこともあります。この間も都議選、参議院選と続いて、主人、家族にほとんど顔を見せることがなかったんです。私も最初のうちは“あなた、大変ね”とかいってたんですが、あまりに長くなると、さすがにちょっと待ったという気分になりましたね(笑い)」

「ケンカは結婚してから2回ぐらいかな?1回目は娘が小さくて育児ノイローゼではないですが、私もいきづまっていてアサリのはいったボウルを投げたことがあります(笑い)。後片付けの大変さに物を投げると結局、大変なのは自分だと分かりましたから、それからはしていません(笑い)」

とのこと。忙しい日々がつづく石原大臣だが、8月1日はカミサンの誕生日だからだと、食事をセットしてやさしい心遣いを見せてくれたという。

「大臣になっても結局、基本的には何も変わっていません。主人の仕事がなんであれ、主人が変わらなければ何も変わらないんじゃないですか。サラリーマンの妻であろうと、議員の妻であろうと、大臣の妻であろうと変わらないですよ」

さわやかに語ってくれた里紗夫人。キッチンにおいたパソコンで伸晃氏のホームページに《妻の目》というコラムを書いている。それには石原家の日常や大臣の生活が、妻の目を通して率直にユーモラスに描かれている。

(提供:女性セブン)

●妻より(平成13年5月)

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都心で野暮用を済ませようと、首都高速を運転していた所、主人からの着メロ、桃天がチャンチャカと鳴り、出た所、いつになく深刻な声。どした、と問うと、今、総理から電話があった。一緒に改革をやってくれと言われた、との事。仰天しました。

初当選から十二年、永田町のしくみも分かってき、発言すればするだけ非主流派になって行く主人を見、これは一生アンチか、と思い定めていたところ。その主人によもやまさかの大臣の声。小泉総理の本気がひしひしと伝わり、鳥肌が立つと同時にこれは大変、成果をきちんと出さないと命取り、等と壮大な悲壮感に加え、運転を誤らないようにと心が千々に乱れる私に主人は、それですぐ帰ってモーニングにアイロンとブラシかけて欲しいんだけど・・・・。

そうでした。天下国家を論ずる前に主婦はしっかりと地に足つけておかなきゃいけないのよね。

慌てて帰宅し、電話やら電報やらに対応しながらアイロンをかけ、靴を磨いている所にやってみえたのは高井戸警察署の方々。警備の為のポリスボックスを設置したいとおっしゃる。そういわれても我が家は建売、ローン三十年の慎ましやかなお家なものでそのような御大層なものを置く余地は無い、全然無い。でもじゃあやめましょうね、というわけにもいかず、結局玄関の所に無理やり押しこんでいただいたものの、余ったスペースは辛うじて乳母車が通れる分だけ。警備して下さる方もさぞかし狭苦しくて息が詰まるだろうな、と心から恐縮しております。

行革(ぎょうかく)担当相、と聞いて、漁獲(ぎょかく)大臣? お父さんがなぜ魚?? とのたまった十歳の娘はさておき、行政改革・規制改革担当国務大臣とはまた耳慣れない、と思った私はあながち勉強不足という訳でも無さそうで、行革の対象となる特殊法人、公益法人がいくつあって、どこのお金がどう流れ、収支がどうなっているかの全体像を把握している人間は皆無なのでは、という事。主人はこの状況をまるでホーンテッド・マンションと申します。
でもそんな悪の結社が国民の血税をネコババしている、みたいな状況がそうそうあるはずも無く(と思いたい)、きちんとした経理簿が出て、その情報が開示されれば、然るべき妙手が打たれ、ホーンテッド・マンション転じてイッツ・ア・スモールワールドになるのでは。そう言うと単純だね、と主人は笑いますが、国の運営だからといって事が複雑怪奇になっていい、という理由は無く、単純さの中には分かり易さ、悪意の介在できない透明さがあると私は信じているのですが。

ともあれ、大臣に就任して間もなく一ヶ月。たくさんの方におめでとう、よかったね、と声をかけていただき、誰もがまるで自分の事のように喜んで下さるのは本当にありがたいことです。主人一人の手柄じゃない、何もかも応援して下さった皆様のお陰です、と手を合わせたい気持ちです。

しかし、おめでたい、おめでたいとただ手放しで喜んでいる場合ではありません。山積している仕事、差し迫る時間、重責に主人はお昼をとる暇も無く、体重が三キロも減ってしまいました。私はと言えばやはり、といおうかお陰様でといおうか、二キロ減りました。だって働けど働けどわが雑用ちっとも減らず、なんですもん。

皆様がお心におかけ下さって、我が家はただいまお花やさんの様。私も一応、高校生の時はフラワーアレンジメント部の部長だったし、主人が以外にもお花大好きで、あ、しおれてる、とか顔に似合わない事を言ったりするものだから、勢い世話に身が入る。すると、お水遊び命の息子が(一歳半になりました)早速、お手伝いに参上してくれて、じょうろがすっ飛び、オアシスが炸裂し。これで午前中の何分の一かは無くなる寸法。そのあとアレルギーご飯を一生懸命作っていると、例えば主人の学生の頃からの友達がオメデトー、とお肉を持ってきて下さる。これが牛の胴体そのまま、の塊だったりする。えーこれどうするの、と尋ねる私にニコニコと、普通に切ってもらえればOKOK、といわれても。その日は三時間、牛(ギュウではなくうし、と読んで下さい!)と格闘し、夜は悪夢にうなされました。
気分はなぜかサイコパス。

またある時は朝から記者さんとカメラさんがやってくる。「大臣の朝食」の取材とのこと。いつもどうりで結構です、といわれても、トーストにコーヒー、人参りんごジュースだけでは絵になるまいし、私の面子が、と見栄を張った食卓に主人は、わー、今日の朝ご飯はごーかだね―! それはいいっこなしでしょうが。

腹芸ができないのは石原家の面々の特徴らしく、家の内外が無いのは精神衛生上とても楽だし、子供の教育にも宜しいが、時々こうやって困る事もあります。これについては主人の母も常々苦労していて、良く言えば正直、悪く言えばデリカシーの欠如よねっ!と話がとっても合う所です。

表裏がない分、言っていることはいつも真剣、その主人が、命がけで結果を出し、信頼して任せて下さった小泉総理をお助けし、日本の一助となる、と決意をみなぎらせていますので私も頑張って支えて行こうと思っております。
国会中継の視聴率が巨人戦のそれを上回った、なんてのけぞる様な話も聞こえて来ます。巷では政治について語るのがおしゃれとか。
今、この時を逃さず、本当にこの国の為になる改革を是非、是非やって欲しいと心から思っておりますこの頃です。

●妻より(平成13年2月)

自慢ではないが私は体が固い。学生時代からずっと何が嫌いってマット運動の授業ほど嫌いなものはありませんでした。でも別に体操部に入るわけじゃないし何の支障もきたさないからいーんだもーん、と思っていましたがここに来て深刻な事態に陥りました。

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腰痛。選挙のたびごとにぎっくり腰になってしまうのですが、その予後がどうにもよくなく、鈍い腰の痛みから離れられない。人間、どこが痛くても状況は同じなのでしょうが、これは辛い。立っても座っても痛い。寝ると起き上がれない。その内に、うらおもての位置関係のせいか、胃も痛くなってくる。そうなると肩こりと頭痛までも併発し、歯まで痛くなってきてもう一巻の終り、という感じ。

なんとかしなければ、と友人達に相談したところ、これは、と思う所を紹介してもらいました。友人の頑固な腰痛を見事治したという中国人の若い整体の先生は私の治療後、女性にしては珍しい関節の固さですね―、とご無体な一言。このままではおばあさんになったとき歩けなくなっちゃうよ、と脅かされ、自分自身、とってもそんな気がしていたので、じゃどうすれば、と指南を仰ぎました。とにかく、毎朝毎晩ストレッチに励みなさい、との事。勢い込んで、それでは近くのヨガ教室にでも行くべきでしょうか、と聞きましたら、その固さではムリムリ、と一笑に付されてしまいました。

実は石原家の面々はもともと身体が固いのです。主人の父はやはりそれゆえに若い時から腰痛が持病とのことですし、母も、お酢を飲んだら柔らかくなる、って友達に言われちゃった、等と言ってますし、その二人の子だから主人も人後に落ちない固さでした。

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なぜ過去形かともうしますと二年ほど前、父が腰痛対策の為、整体の先生(阿部式自彊術)について本格的なストレッチ体操を始めたのです。これが非常に良い、ということになって、母も始め、兄弟たちも続き、と今や石原家は皆ストレッチマニア。暇をみつけてはあちらを伸ばし、こちらを伸ばし。先日の祖父の50回忌の際も待合室で黒い服を着た四人兄弟プラス父が並んで真剣にストレッチをしていた光景はなかなか異様でした。
主人が尊敬する小泉信三先生は ‘練習は不可能を可能にす’ とおっしゃいましたが、本当、3ヶ月経ち、半年が経ち、その間、テレビを見る間も、本を読む時もどこかしら伸ばしていた主人の固い固い関節はどんどんと柔らかくなり、整体の先生も、人並みになった、と御満悦とのこと。そのストレッチ軍団に遅れ馳せながら嫁も参加、というわけです。

もっとも子育て中の主婦の私にはどこぞへ通う暇は捻出できないので、体操のプリントを貰って壁に貼り、子供と遊びながら、野菜の皮をむきながら。今も椅子の上でストレッチ正座をしながらこれを書いています。
はじめて2ヶ月。成果は上々です。腰痛を忘れていられる時間が増え、身体が軽くなった気がして家事もはかどる、その割には肩もこらない、と良い事づくめで結構嬉しい。主人の一番下の弟は画家でサーファー。絵筆をとりながらスクワットしている人ですが、ストレッチで人生変わった!と言いきります。

お勧めします。どうぞやってみて下さい。疲れててお時間なければ、ゆっくりふかーく息を吸って吸って吸って、一気に吐く。これを3回繰り返すだけでも背筋が伸びてストレッチになります。
きっと良く眠れると思いますよ。

●妻より(平成12年6月)

昨年十月に36歳のマル高で男の子を出産。十年ぶりの育児に大わらわの毎日です。暑いの、お腹がすいたの、喉が渇いたのと、夜中に何度も起こされていると、「なるほど、体力がないとつとまらないな…」と、「適齢期」をしみじみと実感させられています。

石原家

 男の子は手がかかると先達が言う通り、娘とは全く違う目まぐるしい動き。家中に響き渡る大きな声。そしてなんとしても治らない顔の湿疹。生後一ヶ月からブツブツと始まり、三ヶ月にはジクジク。どこが目やら鼻やらという悲惨な状況に陥り、何となく感じていたステロイド恐怖症のために敬遠していた小児科に改めて連れて行きました。

案の定アトピーという診断で、処方されたステロイドを塗ると「あら不思議!」 三日できれいになりました。が、やめた途端にまたブツブツ。手を変え、品を変えたすえのアレルギー検査の結果を見てドーンと落ち込みました。強度の卵・大豆・小麦・米アレルギー…。これって一体何を食べさせたら良いのでしょうか?青い顔をして主人に言うと、「病気じゃなくて良かったね。僕や弟達も小さい頃はカサブタ状態でジンマシンを良く出したんだ」とのこと。あっさりと片付けられてしまったものの、母親としては「ああそうですか」というわけにもいかず、それから懸命にアトピーの勉強、情報収集に乗り出しました。

まあ、あるわ、あるわ…。「これはマズいでしょ!?」というような怪しげな民間療法から、食餌療法、名医といわれる東洋医学・西洋医学の先生方、坑ダニ製品、低農薬・低アレルギー食品など、など、など…。アトピービジネスとまで言われるだけあって、その広大な市場は正に玉石混交。出口が(もしあるとするならば)見えない深い森なのでした。

その間にも七ヶ月目になった息子は、極めて食欲旺盛ながらも、メロンを食べては真っ赤。パパイヤやヨーグルトを食べてはカイカイ。食前のインタール、一日二回の低温のお風呂、軟膏を塗るのがかかせないという、なかなかにストレスフルな毎日。何とかしてやりたいという気持ちはつのるばかりです。

現在、何らかのアレルギーを持っている0才から9才の子供は、全体の40・9%にも達している(1991年・厚生省調べ)とのことで、これはまさに現代病です。そしてこの病からは、現代の日本の社会のあり方への警鐘が透けて見えます。膨大な情報を精査していくと、アトピー・アレルギー・喘息のキーワードとして、「自然」、「質素」が浮かび上がってきます。

無駄なものを省いて、すっきりとした部屋を風通しよくして、布団は太陽に当て、外食を慎み、インスタント食品を使わずに日本古来の材料を吟味したシンプルな食事をとる。主人が「息子と一緒に、我々も健康生活に突入だね。」と笑いますが、確かに生活全般を見直す良い契機になりました。

父は、息子(主人です)の花粉症、孫息子のアトピーに心を痛め、実態を知って驚いています。「やはり東京の空気の悪さが諸悪の根源」と、息子と孫が一つのきっかけとなって、都知事在任中にディーゼル車規制を含めた何らかの手を打つ決意を固めているようです。主人もまた「このままでは、近い将来、外を歩くのにガスマスクが必需品というような、笑えない状況に陥るのではないか」と、これまでにもまして真剣に環境問題に向き合うようになりました。

「子供がアトピーで…」という話をすると、たいていの人が「実は私も…」とか、「親戚が…」と話に集まってきます。つまりほとんどの人にとって、他人事ではないこの問題。一人一人が我が子を含めての将来の日本における環境問題に思いをはせれば、飽食王国、ゴミ大国・日本も徐々に変わっていくのかもしれない。これもまた、天の配剤か…と、毎日の離乳食の献立に頭を悩ませつつ考えています。

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