日本経済新聞(2015年1月11日)

「長老」自民税調、若手も起用(98年、03年)

日経1.1旧日本長期信用銀行の破たんなど金融不安が続いていた1998年10月下旬。首相、小渕恵三から津島雄二に電話が入った。「影武者としてやってほしい」。自民党税制調査会長、林義郎を補佐してくれとの要請だった。
津島は元大蔵官僚で税務分野が長かった。会長の林も蔵相を経験したが、実務は強くない。99年度税制改正は金融恐慌を防ぐ経済対策の意味もある。小渕は自派に所属する津島に税調のしきり役、小委員長を任せた。
このころは税調のドン、山中貞則が健在。元蔵相の村山達雄、旧自治省の事務次官から法相などを歴任した奥野誠亮ら長老が脇を固めていた。林と津島は事務方と改正案を詰め、山中らを交えた最高幹部会「インナー」に諮って決めていく。
当選回数と専門知識を兼ね備えた長老ばかりのインナーこそ「税は自民税調の聖域」といわしめた背景だ。津島はこの中に若手議員を潜り込ませる。当選3回の石原伸晃だ。税制改正大綱の書き手としてだが、最高幹部会入りは異例だった。
津島は10月まで長銀の破たん処理スキームなどを巡る与野党協議を仕切った。ともに臨んだ石原は民主党の枝野幸男らと並び「政策新人類」と評された。税調の若返りも期待した抜てきだった。
次の変化は小泉内閣の2003年。「もういっぺんやってくれませんか」。衆院選直後の11月17日、政調会長、額賀福志郎が同じ派閥の津島に税調会長就任を求めた。
額賀と津島は政調会と税調の布陣を同時並行で固めていく。政調会長代理は大蔵省出身で税に詳しい柳沢伯夫。税調小委員長には首相、小泉純一郎の出身派閥である森派の町村信孝を充てた。
山中は引退モードで「重鎮のご意向」を頼りにした税制改正は難しい。インナーの意味がなくなり、形式的ながら廃止した。時折開く幹部会には参院議員の若手、林芳正を加えて刷新した。
04年にかけての政治課題は年金だった。税調でも財源が焦点で、03年末に決めた税制改正大綱には消費税を含む抜本的改革を実現すると記した。若手だが政策通で知られた林を起用したのもその後に本格化する社会保障と税の一体改革に対応できる人材とみたからだ。
石原と林はいま税調の中心にいる。金融と年金、消費税。時代の要請がこれからも変化を促す。
=肩書きは当時、敬称略(犬童文良)

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津島雄二元厚相「税は立法府が決める、ということはこれからも貫いてほしい。できるだけ多数の人が立法府で参加しながらつくるのが一番いい。政府側の意見があるのなら事務方の意見を聞くときに言ってもらったらいい。だけど決めるのは立法府。首相官邸にお伺いを立てるべきではない」